三隈川の通船工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 16:13 UTC 版)
「塩谷正義 (代官)」の記事における「三隈川の通船工事」の解説
小ヶ瀬井路の工事が完了すると同時期の文化8年(1825年)4月から正義は、三隈川の通船工事に着手した。玖珠郡の年貢米の輸送を容易にするための工事で、同時に日田地方の年貢米の積み出しを目的として、花月川や中城川の堰造りも含めた通船工事も竣工させた。広瀬淡窓の弟である広瀬久兵衛(博多屋久兵衛)を中心として進められ、これらの工事は順調に進み、同年の12月に竣工を果たした。同時期、同時並行で八代領から7~8人の舟子を雇い船の建造も行い、水運を活発にした。 この工事が行われた文政8年(1825年)12月7日、嫡男正路が小納戸役に抜擢された。
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