三途の川と姥子堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 00:49 UTC 版)
「宝勝寺 (群馬県甘楽町)」の記事における「三途の川と姥子堂」の解説
宝勝寺は下仁田街道(現在の国道254号)が鏑川の支流を渡る地点の北側に位置している。この支流は「三途川」という。伝承では奈良時代の仏僧行基による命名というが、宝勝寺の住職によれば、鉄分を多く含有する川の水が赤く見えることからこの名があるのではないかという。 現在の宝勝寺境内は三途川に面している。三途川を下仁田街道が渡る橋のたもとには「姥子堂」とよばれる仏堂があり、奪衣婆が祀られている。「宝勝寺起立書(起立文書)」は、もともと行基が奪衣婆の木像をつくって祀ったものだと伝える。しかし、像と姥子堂は江戸時代の火災で失われており、現存するものは江戸時代に再建されたものである。この姥子堂は宝勝寺が管理しており、甘楽町の史跡に指定されている。
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