三年殺し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/03 01:52 UTC 版)
中山辰三郎は当身や蹴り技を得意としており、松岡克之助のもとで修業に励んでいた時、気の荒い土工数十人と大喧嘩をしたが、その時に強弱を変えつつ様々な当身を実験的に試し全員当て倒した。 その後、一人一人捜し出して生死を確かめたところ、早いもので3ヵ月、一番長く生きたもので13年半で亡くなっていたという。平均すると3年になったことから、弟子の大塚博紀に三年殺しは本当にあると語っていたという。 この時、中山は中指の第二関節を突き出した拳を使った。 中山辰三郎は中指の第二関節を突きだした拳を用いて急所を突くことが効果的であると提唱しており、神道楊心流の形での突きも全てこれを用いた。 この考えは弟子の大塚博紀が開いた和道流にも受け継がれており、和道流柔術拳法の形36手では一切正拳を使わず、突きは全て中指の第二関節を突きだした拳を用いて急所を攻撃する。
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