三会村とは? わかりやすく解説

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三会村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/11 10:05 UTC 版)

みえむら
三会村
廃止日 1955年4月1日
廃止理由 編入合併
三会村島原市
現在の自治体 島原市
廃止時点のデータ
日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
南高来郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 6,416
国勢調査、1950年)
隣接自治体 島原市、南高来郡多比良町千々石町小浜町大三東村土黒村
三会村役場
所在地 長崎県南高来郡三会村乙1935番地の2
座標 北緯32度48分59秒 東経130度21分02秒 / 北緯32.81625度 東経130.35042度 / 32.81625; 130.35042座標: 北緯32度48分59秒 東経130度21分02秒 / 北緯32.81625度 東経130.35042度 / 32.81625; 130.35042
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三会村(みえむら)は、長崎県島原半島にあった村。南高来郡に属した。1955年(昭和30年)に南隣[1]島原市へ編入した。

現在の島原市の中北部にあたる。

地理

島原半島の東部に位置する。当地は古くは「三江」とも表記され、地内を流れる金洗川・西川・中河川の川尻に3つの入江がある様子から地名が生まれたとされる[2]

  • 山:江丸、飯洞岩、櫓木山、ホウノ木山
  • 台地:三会原
  • 河川:西川、金洗川、中野川、今井川、寺中川、小橋川、中河川

沿革

地名

を行政区域とする。三会村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。

なお、三会村では名の名称を十干に置き換えて表記する[3]

  • 甲 / 木崎名(きさき)
  • 乙 / 中原名(なかばる)[4]
  • 丙 / 寺中名(じちゅう)

交通

鉄道

島原鉄道

(大三東村) - 三会駅 - (島原市)

名所・旧跡

  • 礫石原(くれいしばる)遺跡
  • 景華園遺跡[5]

参考文献

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1954年4月1日
  2. ^ 角川日本地名大辞典 42 長崎県「三会」
  3. ^ 現在の島原市三会地域は名を廃止し町名設置を実施しているが、住所および登記簿上の地番の先頭には十干が付与されており、当時の地名の名残がうかがえる。
  4. ^ 現在は「なかば」と読まれているが、本項では『長崎県南高来郡町村要覧.上編』三会村の頁のうち「名数」に記載されている中原名の読み仮名を採用している。
  5. ^ 景華園遺跡出土の一括遺物 122点 長崎県の文化財

関連項目




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