七重塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 07:23 UTC 版)
塔跡1は3間四方。武蔵国分寺の七重塔は『続日本後紀』によると835年(承和2年)に落雷によって焼失したとされる。その後、845年(承和12年)に男衾郡の大領であった壬生吉志福正(みぶのきしふくまさ)が私費による再建を申し出て許可されている。問題はこの時の再建の位置である。従来、七重塔跡は1箇所と考えられていたが、2004年(平成16年)に地中のレーダー調査を実施したところ、従来知られていた塔の跡から西に55mの位置に仏塔跡と考えられる遺構が発見され、現在発掘調査が進んでいる。発掘担当の研究者グループは従来の塔跡を「塔跡1」、新しく見つかった塔跡を「塔跡2」と仮称して研究を行っているが、塔跡1からは創建時のものと思われる瓦が検出され、塔跡2からはより新しい時期に焼かれたと思われる瓦が検出されているので、年代的には塔跡2の方が新しいと推測されている。しかし再建時の七重塔が塔跡2の位置に存在したのか、それとも再建七重塔も塔跡1に建てられたのかを確定出来る史料は見つかっていない。また塔跡2に確認される土台のうえに塔が実際に完成したかどうかも検証されていない。
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