一心会に関連した民主労働党の分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 06:55 UTC 版)
「一心会事件」の記事における「一心会に関連した民主労働党の分裂」の解説
統一運動に重点を置くことで知られる自主派(NL)と人権・平等運動に中心を置くことで知られる平等派(PD)は、民主労働党内で、かねて対立していた。当時の党代表であった、平等派の沈相奵は、民主労働党の実権を握っている自主派の「親北路線清算」を主張して、2008年2月3日、公開党大会で、チェギヨン前事務部総長と、イジョンフン前中央委員など「一心会関係者除名案件」を盛り込んだ党改革案を提案した。しかし、自主派代議員たちは、この案件を削除するよう求めた修正動議案を発議し、出席代議員862名中553名の賛成で決議させ、除名は結局失敗した。 この後、革新案可決と最信任問題を絡めた沈相奵は辞任し、沈相奵は支持していた魯会燦前国会議員と、他の平等派党員が一同に離党し、進歩新党を結成した。一心会議論で知られているように、進歩新党は民主労働党と比較して、政治路線は相当に北朝鮮に異なる視点を持っている。
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