レンガスデンクロック事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:11 UTC 版)
「日本占領時期のインドネシア」の記事における「レンガスデンクロック事件」の解説
日本の降伏を予想したシャフリルは、8月14日に青年らとともにスカルノとハッタを訪れて独立宣言をするように求めたが、日本軍による阻止を懸念した両者に拒否された。8月15日の日本の無条件降伏ののち、青年活動家はスカルノ妻子とハッタをジャカルタ郊外のレンガスデンクロックに拉致し、レンガスデンクロック事件(インドネシア語版、英語版)と呼ばれた。事件の中心になった活動家はスカルニ(英語版)、ディパ・ヌサンタラ・アイディット、アダム・マリク(英語版)、ハイルル・サレ(英語版)らであり、武装蜂起や日本軍からの権力奪取を求めたが、スカルノとハッタは青年たちに同意しなかった。スカルノとしては、独立が国際的に承認されれば目的は達成できるため、武装蜂起は必要ではなかった。拉致事件を知った独立準備委員のアフマド・スバルジョと海軍武官府長官の前田精は、青年たちを説得してスハルトらは解放された。
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