レノルド・シルキーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > レノルド・シルキーの意味・解説 

レノルド・シルキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/14 16:43 UTC 版)

レノルド・オットー・シルキーRenold Otto Schilke, 1910年6月30日 - 1982年9月5日)はアメリカ金管楽器製造会社「シルキー」の創業者。また、トランペット奏者。

来歴

1910年6月30日、ウィスコンシン州グリーンベイにて音楽一家の下に生まれる。8歳の頃からコルネットを始め、11歳にはホルトンバンドのソリストとして参加している。また11歳で楽器を初めて製作している。

1927年ベルギーにあるブリュッセル音楽院で18世紀に活躍した楽器製作者ヴィクトール=シャルル・マイヨン(Victor-Charles Mahillon)の技術を学ぶ。翌年シカゴに戻ると、当時のシカゴ交響楽団首席トランペット奏者だったエドワード・ルウェリン(Edward Llewellyn)に師事した。また小さなマウスピース工房を興し、シカゴ響の金管奏者達にマウスピースを試してもらった。

1936年までしばらくシカゴを離れていたが、1936年にエドワードが他界すると再びシカゴ響に戻り、本格的に楽器製作に取り組み始める。また、この頃からシカゴ響に入っていたエルデン・ベンジ(Elden Benge、ベンジの創設者)の依頼により楽器をデザインしている。

プレイヤーとしてもシカゴ響の他にブラスアンサンブルを結成し、アドルフ・ハーセスと共にリサイタルをこなし、同時に楽器の宣伝も行った。

その後、シカゴ響に首席ホルン奏者として戻ってきたフィリップ・ファーカスと共に会社を設立。1956年にその半分から自身の会社を興した。それが今日のシルキーに至っている。

1981年には来日も果たしたが、1982年9月5日、アリゾナ州で亡くなる。72歳没。

楽器

シルキー・トランペットは世界的な評価を受け、オーケストラジャズ、スタジオミュージシャンなどの一流プレーヤーに広く使われている。

特徴して特に挙げられるのは、

  • 音色
  • 音程
  • レスポンス(反応)

の3点であり、また機械工学に精通していたシルキー独自の工夫として、接合部分やピストン両端部分は六角形状を用い、音色の影響を考えてベルに一切の装飾を施さないことも挙げられる。大手メーカーのような機械による大量生産ではなく、すべて手作りであり、レノルドの存命中は本人が一つ一つ楽器を試奏してチェックしたといわれる。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「レノルド・シルキー」の関連用語

レノルド・シルキーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



レノルド・シルキーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのレノルド・シルキー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS