レオン・フレデリックとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 画家 > ベルギーの画家 > レオン・フレデリックの意味・解説 

レオン・フレデリック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 01:43 UTC 版)

レオン・フレデリック
Léon Frédéric
レオン・フレデリック/1910年頃
誕生日 (1865-08-26) 1865年8月26日
出生地 ベルギー ブリュッセル
死没年 1940年1月27日(1940-01-27)(74歳)
死没地 ベルギー スカールベーク
国籍 ベルギー
運動・動向 象徴主義、20人会
芸術分野 絵画
代表作 万有は死に帰す(大原美術館)
テンプレートを表示

レオン・フレデリックLéon Frédéric1856年8月26日 - 1940年1月27日)は、ベルギー象徴主義の画家。

経歴

1856年、ブリュッセルの裕福な宝石商の息子に生まれた。ブリュッセル王立美術アカデミーで学び、1874年からオリエンタリズムの画家、ジャン=フランソワ・ポルテールの工房で学んだ。1876年から1878年の間、ローマ留学の奨学金の得られるコンクールに応募するが入賞できず、父親が資金を出して1878年から2年間イタリアに留学した。ナポリローマフィレンツェベネツィアを旅し、サンドロ・ボッティチェリドメニコ・ギルランダイオといった「クワトロチェント」様式と呼ばれる初期ルネサンス画家たちの作品から影響を受けた。

帰国後、ブリュッセルの展覧会に出展し、自然主義の画家、ジュール・バスティアン=ルパージュの作品からも影響を受け、社会的な主題の作品も描いた。ブリュッセル王立美術アカデミー出身者が母体となった美術家グループ、「L'Essor(発展)」のメンバーになり、その展覧会に出展した。1882年のサロンで初受賞し、1889年のパリ万国博覧会の展覧会に出展し金メダルを受賞した。

1890年頃から象徴主義に傾倒し、1896年よりジャン・デルヴィルが主催した「Salon d'Art Idéaliste(理想主義芸術展)」に出展した。

1904年にベルギー・アカデミー会員に選ばれ、1930年男爵位を授けられた。

ギャラリー

参考資料

  • 高階秀爾、世紀末と象徴主義(世界美術大全集)(小学館、1996)ISBN 4-09-601024-3
  • 千足伸行 (監修) 『すぐわかる画家別幻想美術の見かた』改訂版(東京美術、2010年)ISBN 978-4-8087-0887-0

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「レオン・フレデリック」の関連用語

レオン・フレデリックのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



レオン・フレデリックのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのレオン・フレデリック (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS