レオおよび美術収集品との別れ、1914年
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「ガートルード・スタイン」の記事における「レオおよび美術収集品との別れ、1914年」の解説
スタインは1914年にレオとの住まいを別にした後も、ピカソの絵画の大半を持ち続けた。そのうち2点は既に収集しており後はキュビスムに変わってから得たものであった。別居は1914年4月に起こった。レオはイタリアのフィレンツェの近くセッティニャーノに移住した。収集品の分け方は書きのレオの手紙に詳しい。 セザンヌのリンゴは私にとって何者にも置き換えられないぐらい特に重要である。ピカソの風景はそういう意味では重要でない。我々は二人とも裕福なので不平を言う必要もないと私には思える。セザンヌは分けなければならない。私は喜んでピカソを置いて行こう。私にルノワールをくれれば、それ以外は何でも残していける。私は自分が持っている幾つかの絵画を持っておきたい。これで私に異存はないし、様々な方法で評価したとしても釣り合いが取れていると思う。私は貴女が「リンゴ」を失うことを神の行動として見るのではないかと恐れる。私は何よりもそれぞれが欲しいものに理由が有るべきだと思う。私は貴女がルノワールに関心が無いためにそれを渡してくれる用意があることを喜ぶ。そのように私はピカソに関心がないので、貴女の欲する全てを喜んで渡す用意がある。
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