リバロッシ傘下へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/02 09:46 UTC 版)
1963年、創業者の一人であるコラッド・ムラトーレがリバロッシに株式を売却して、会社を退いた。リバロッシはポケールの総代理店となり、ポケール製品をリバロッシの販売網に乗せて展開した。しかしながら、経営と製造はリバロッシには縛られずに継続した。 1964年、トリノ工場から最も成功した製品を送り出した。それはヴァージニア & トラッキー鉄道の軸配置4-4-0のジェノア号 (Genoa ) である。1967年、トリノ工場最後の製品としてイタリア国鉄ALe 803電車を発売した。1960年代末、トリノ工場で製造していた製品はリバロッシのコモ工場へ移され、製品はリバロッシの作風に手直しされた。ジェノア号とAle 803電車もリバロッシの作風に合うようにそれまでのポケール製品とは別に新しく製作された。
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