リカルテとベニグノ・ラモス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 17:17 UTC 版)
「アルテミオ・リカルテ」の記事における「リカルテとベニグノ・ラモス」の解説
1944年10月、リカルテは、フィリピン共和国の大統領ホセ・ラウレルおよびその閣僚、日本人高官らと会うため、バギオ(Baguio)を訪れた。出発前、彼は妻に、バギオの滞在が長期化する場合、家族を呼び寄せると言った。 バギオを出発する前、独立運動家ベニグノ・ラモスから自宅に招待され、マカピリ(Makapili)の創設メンバーに加わることを求められた。リカルテは、愛国心と支持者への忠誠のため創設には加われないと言い、病気のためそのような重責は負えないと付け加えたが、マカピリの創設は認め、祝した。
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