ラムパイパンニーとは? わかりやすく解説

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ラムパイパンニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/07 21:13 UTC 版)

ラムパイパンニー
รำไพพรรณี
シャム王妃
在位 1925年11月25日 - 1935年3月2日
戴冠式 1926年2月25日

全名 ソムデットプラナーンチャーオ・ラムパイパンニー・プラボロムラーチニー
出生 (1904-12-20) 1904年12月20日
シャムバンコク
死去 (1984-05-22) 1984年5月22日(79歳没)
タイバンコク
配偶者 ラーマ7世
(1918年-1941年)
氏族 タイ王族
家名 サワットディワット家
父親 サワットディワットウィシット (サワットディソー ポン王子)
母親 アーパーパンニー王女
サイン
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称号:王妃
敬称 陛下
Her Majesty the Queen
สมเด็จพระบรมราชินี
モノグラム

ラムパイパンニータイ語: รำไพพรรณี, ラテン文字転写: Rambhai Barni1904年12月20日 - 1984年5月22日)は、タイ王国国王ラーマ7世の王妃。旧名、モムチャオイン・ラムパイパンニー・サワットディワットタイ語: หม่อมเจ้าหญิง รำไพพรรณี สวัสดิวัตน์)。サワットディワットウィシット王子の次女。愛称は「タンインナー」(タイ語: ท่านหญิงนา "ナー王女")。 日本では、ラムバイ・バルニと表記されることがある。

第二次世界大戦は、しばしば日本に旅行に訪れている。1952年(昭和27年)4月6日には、妹2人を連れて来日。翌7日には昭和天皇香淳皇后に午餐に招かれている[1]

英国に亡命中のプラチャーティポックとラムパイパンニー

脚注

  1. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第11』東京書籍、2017年3月30日、352頁。ISBN 978-4-487-74411-4 
先代
インタラサックサジー
タイの后妃
1925年 - 1935年
次代
シリキット



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