ラップ時代の到来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 01:15 UTC 版)
1979年レコード会社重役のシルビア・ロビンソンがザ・シュガーヒル・ギャングを構成し、「ラッパーズ・デライト」というヒット曲を生み出す。これが一般民間に受け入れられるヒップホップ音楽の始りとなる。この年の終わりまでに、グランドマスター・フラッシュはエンジョイ・レコードに所属し、1980年にはアフリカ・バンバータはウィンリーと契約を結ぶ。この流れにより、ハークの人気は薄れていく。グランドマスター・フラッシュはハークの人気が落ちたのはテクニックの発達に彼がついてこれなかったからだという。1970年末期にキューイング(レコードのある一部を次々と流す)、カッティング(違うレコードへの切り替え)、スクラッチング(レコードを動かして打楽器のような音を作る)などの新しいテクニックができている。しかしハークは彼の引退を、エクゼクティブ・プレイハウスの殺傷事件、イベント会場の火事などが原因と言っている。1980年にハークはDJを辞め南ブロンクス地区のレコード店で働くようになる。ハークは1984年のハリウッド映画「ビート・ストリート」に彼自身の役で登場した。
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