ヨハン・フリードリヒ2世 (ザクセン公)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヨハン・フリードリヒ2世 (ザクセン公)の意味・解説 

ヨハン・フリードリヒ2世 (ザクセン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/23 02:52 UTC 版)

ヨハン・フリードリヒ2世
Johann Friedrich II.
ザクセン公
在位 1554年3月3日 - 1566年12月12日

出生 (1529-01-08) 1529年1月8日
神聖ローマ帝国
ザクセン選帝侯領、トルガウ
死去 (1595-05-19) 1595年5月19日(66歳没)
神聖ローマ帝国
シュタイアーマルク公領オーバーエスターライヒ、シュタイアー城
埋葬 神聖ローマ帝国
ザクセン公領、コーブルク、モーリッツ教会
配偶者 アグネス・フォン・ヘッセン
  エリーザベト・フォン・デア・プファルツ
子女 ヨハン・フリードリヒ
フリードリヒ・ハインリヒ
ヨハン・カジミール
ヨハン・エルンスト
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世
母親 ジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルク
テンプレートを表示

ヨハン・フリードリヒ2世(Johann Friedrich II., 1529年1月8日 - 1595年5月19日)は、ザクセン公(在位:1554年 - 1566年)。ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ1世ジビュレ・フォン・ユーリヒ=クレーフェ=ベルクの長男。

人物

父ヨハン・フリードリヒ1世は1547年にザクセン選帝侯位を皇帝カール5世に剥奪されたため、ザクセン公位のみを継承した。1555年ヘッセン方伯フィリップ1世の娘でザクセン選帝侯モーリッツの未亡人アグネスと結婚したが、同年に産褥死した。

1558年プファルツ選帝侯フリードリヒ3世(1559年に継承)の娘エリーザベトと再婚し、4男をもうけた。成人に達したのは2人である。

  • ヨハン・フリードリヒ(1559年 - 1560年)
  • フリードリヒ・ハインリヒ(1563年 - 1572年)
  • ヨハン・カジミール(en, 1564年 - 1633年) - ザクセン=コーブルク公
  • ヨハン・エルンスト(en, 1566年 - 1638年) - ザクセン=アイゼナハ公

ヨハン・フリードリヒ2世は1566年神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の捕虜となり、弟ヨハン・ヴィルヘルムがザクセン公となった。しかし1572年にマクシミリアン2世の裁定により、ヨハン・フリードリヒ2世の存命していた2人の息子とヨハン・ヴィルヘルムの間で所領の分割が行われた。

1595年、ヨハン・フリードリヒ2世は虜囚として生涯を終えた。

出典

ヨハン・フリードリヒ2世
先代
ヨハン・フリードリヒ1世
ザクセン公
エルンスト系
1554年 - 1566年
次代
ヨハン・ヴィルヘルム



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヨハン・フリードリヒ2世 (ザクセン公)」の関連用語

ヨハン・フリードリヒ2世 (ザクセン公)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヨハン・フリードリヒ2世 (ザクセン公)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヨハン・フリードリヒ2世 (ザクセン公) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS