ヤークーブ・ベク政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 15:54 UTC 版)
カシュガルを掌握したコーカンドの軍人ヤクブ・ベクは、ヤルカンド・ホータン・クチャ・ウルムチの勢力を順次征服し、1870年には天山以南の地域(タリム盆地)をほぼ支配下に置いた。 1875年、清朝は左宗棠を新疆遠征の総司令に任命すると、まずウルムチを占領し、1877年4月にはウルムチから天山南路への関門であるダバンチェンの峠でヤークーブの勢力に大打撃を与えた。その約一ヶ月後、ヤークーブ・ベクはコルラにおいて急死(服毒自殺説有)し、その国家はあっけなく瓦解した。 清朝は改めて新疆を統治すべく、今までの旗人軍政官ではなく、漢人官僚にその統治を委ね、1884年に省制を施行し、1886年までに検地を完了させた。イリ将軍は名目的存在となり、ウルムチに駐屯する新疆巡撫が最高権力者となった。
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