メアリー1世の肖像とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > メアリー1世の肖像の意味・解説 

メアリー1世の肖像

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/01 03:59 UTC 版)

メアリー1世の肖像
スペイン語: Retrato de María Tudor, 英語: Portrait of Mary Tudor
作家 アントニス・モル
1554年
種類 板上に油彩
寸法 109 cm × 84 cm (43 in × 33 in)
収蔵場所 マドリード, プラド美術館

 

メアリー1世の肖像』(メアリー1せいのしょうぞう、西: Retrato de María Tudor: Portrait of Mary Tudor)、または『イングランド女王メアリー・テューダー』(イングランドじょおうメアリー・テューダー、西: María Tudor, reina de Inglaterra: Mary Tudor, Queen of England)は、初期フランドル派の画家アントニス・モルが1554年に板上に油彩で制作した絵画である[1][2]ハンス・ホルバインの作風の影響を受けているモルは、優れた観察眼で女王の容貌を克明に捉えている[1][2]。本作はモルによる最も重要な肖像画の1つで、画家の作品の最大のコレクションを有するマドリードプラド美術館に所蔵されている[1][2]

人物

描かれているのはイングランド女王メアリー1世である。彼女はヘンリー8世カタリナ・デ・アラゴンの間に生まれ[1][2]、非常に高度な教育を受けて育った[2]。父親ヘンリーの代は特に複雑な治世であり、彼女は異母弟エドワード6世が跡継ぎなくした早世するまで、王座から遠ざけられていた[2]。メアリーが即位してからの治世はプロテスタントからカトリックへの回帰を方針とし[1][2]、苛烈な反プロテスタント政策が採られた。そのため彼女には「ブラッディー・メアリー」という通称がつけられた[2]

メアリーは従兄弟にあたる神聖ローマ皇帝カール5世の許嫁であった[1][2]が、後に彼は妹のハンガリー王妃マリアの勧めで[1]、37歳まで独身を通したメアリーを11歳年下の息子フェリペ (後のスペイン王フェリペ2世)と結婚させることを考え、1554年にメアリーはフェリペの2番目の王妃となった[1][2]。この年に皇帝カールの命でロンドンに派遣されたのがアントニス・モルであった[1][2]。なお、フェリペとメアリーの結婚は彼女が亡くなるまでの4年間しか続かなかった。

作品

ラファエロの『教皇ユリウス2世の肖像』(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)に従い、膝下から上を描いた4分の3正面向きで[1]、メアリーは椅子に背を預けることなく背筋を伸ばして座っている[2]。彼女はイタリア製のベルベットのスーツとコートを身に着けている。コートは本来、紫色だったが、時間の経過とともに青色顔料の酸化で茶色のような色調に変色した。右手にはテューダー朝紋章となっているバラを持っている[1][2]

色調が長い歳月の間に変化してしまっていたため、2019年に本作はプラド美術館で修復され、暗く変色したニスの様々な層が除去された。 素描技術の完璧さ、女王の容貌の表現により、本作は傑作となっている。非常に微妙な様式で、モルはあまり魅力的ではない女王を美しく、威厳ある姿に描くことに成功している。一方、他の肖像画では、彼女はいくらか病弱な蒼白さで、か細い老けた人物として表されている。

女王は輝く高価な宝石を纏っている。その中で目立つのは胸の上の大きなブローチで、それは四角いダイヤモンドと涙の形の真珠からできている。これらの宝石は彼女の新しい夫であるフェリペ2世から贈られた[1][2]ものと推測され、それぞれスペイン王家の名高い宝石であった「エスタンケ (Estanque)」(池)と「ぺルラ・ペレグリーナ (Perla Peregrina)」(並外れた真珠)とされたが、最新の調査では否定されている。「ぺルラ・ペレグリーナ」はメアリーの死のずっと後にフェリペ2世によって購入されたものである。さらに、イングランド君主に関する文献によると、この肖像画の輝くダイヤモンドと真珠はずっと以前からテューダー朝の所有であったことが証だてられている。

カール5世はユステ修道院に隠居した時、自ら委嘱したこの作品を携行したが、それは彼が作品を好んでいた証左である。1600年に、絵画はすでにマドリードに戻っていたと記録されている[2]

この肖像画には、様々な複製と派生した絵画がある。最も忠実な複製はイギリスノーザンプトンシャー侯爵夫人のアシュビー城 (Ashby Castle) と、ボストンイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館にある作品 (モルと工房に帰属されている) である。他の作品としては、ローマコロンナ美術館英語版にある立ち姿のメアリーの肖像があり、フェリペ2世の肖像と対になっている。

ロンドンナショナル・ポートレート・ギャラリーには、ハンス・イワースが、確実にモルが本作を描くのと並行して制作したメアリーの肖像がある。彼女の服装はまったく同じであるが、ポーズはまったく異なっている。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l Mary Tudor, Queen of England”. プラド美術館公式サイト (英語). 2023年11月29日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o プラド美術館ガイドブック、2009年刊行、340頁、ISBN 978-84-8480-189-4

参考文献

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  メアリー1世の肖像のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「メアリー1世の肖像」の関連用語

メアリー1世の肖像のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



メアリー1世の肖像のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのメアリー1世の肖像 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS