ミレーと再婚後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 17:04 UTC 版)
1855年にミレーと再婚し、翌年からほぼ年子で8人の子供を生んだ。ミレーはエフィーや子供たちをモデルに多くの絵を残している。ラスキンの友人であったルイス・キャロルとは、ラスキンと離婚後も付き合いがあったようで、キャロル撮影によるミレー一家の家族写真も残っている。エフィーの妹ソフィーと夫ミレーの仲が噂されたこともあったが、エフィーは画家を支えるしっかり者の良き妻としてミレーを助けた。ミレーが亡くなった翌年の1897年に69歳で死去。 ラスキンは後年、家庭教師をしていた少女ローズに結婚を申し込んでいるが、その際、ローズの母親がエフィーに2度手紙を出して、夫としてのラスキンについて尋ねている。エフィーは、一度は返答を拒んだものの、ラスキンはひどい夫であり、エフィーを病人呼ばわりして6年間も夫婦関係を拒んだと告げ、結果、ローズとの結婚話はなくなった。
※この「ミレーと再婚後」の解説は、「エフィー・グレイ」の解説の一部です。
「ミレーと再婚後」を含む「エフィー・グレイ」の記事については、「エフィー・グレイ」の概要を参照ください。
- ミレーと再婚後のページへのリンク