マルティーノ1世 (シチリア王)とは? わかりやすく解説

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マルティーノ1世 (シチリア王)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 10:21 UTC 版)

マルティーノ1世
Martino I
シチリア国王
在位 1390年 - 1409年

出生 1374年
カタルーニャ君主国
死去 1409年7月25日
アラゴン王国サルデーニャカリャリ
埋葬 アラゴン王国サルデーニャカリャリ大聖堂
配偶者 シチリア女王マリア
  ビアンカ・ディ・ナヴァッラ
家名 バルセロナ家
王朝 アラゴン朝
父親 アラゴン王マルティン1世
母親 マリア・デ・ルナ
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マルティーノ1世(Martino I, 1374年頃 - 1409年7月25日)は、シチリア王(在位:1390年 - 1409年)。アラゴンマルティン1世と王妃マリア・デ・ルナの子。スペイン語名は父と同名で、父(老マルティン)に対して若マルティン西:Martín el Joven, :Martino il Giovane, カタルーニャ語:Martí el Jove)と呼ばれる。父方の祖母レオノール(アラゴン王ペドロ4世の3番目の王妃)はシチリア王ピエトロ2世の娘であった。

生涯

1390年に従姉にあたるシチリア女王マリアと結婚した。1392年に老マルティン、マリアとともに軍勢を引き連れてシチリアへ侵攻し、反抗する諸侯を破った。マルティーノはマリアが1401年に死去するまで、共同でシチリアを治めた(その間、1396年に老マルティンがアラゴン王位を継承している)。その後、1372年にバルセロナ家アンジュー家との間で結ばれていたヴィルヌーヴ条約英語版を無視して、マルティーノは単独の君主として支配を続けた。1403年、のちにナバラ女王となるエヴルー家の王女ブランカ(ビアンカ)と結婚した。2度の結婚のいずれでも、成人した子は得られず、庶子ルナ伯ファドリケがいたのみだった。

マルティーノが1409年にサルデーニャカリャリで死去すると、父であるアラゴン王マルティン1世がマルティーノ2世としてシチリアも治めた。しかし翌1410年にはマルティン1世自身も死去し、マルティーノに先立たれて嗣子がいなかったため、王位継承者が定まるまでに2年を要した(カスペの妥協を参照)。

先代
マリア
シチリア王
1390年 - 1409年
1401年までマリアと共同統治
次代
マルティーノ2世



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