マヘンドラ国王の独裁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 06:32 UTC 版)
「ネパールの政治」の記事における「マヘンドラ国王の独裁」の解説
B.P.コイララは封建的土地制度の改革などの民主的な政策を矢継ぎ早に実施しようとしたため、マヘンドラ国王と対立した。マヘンドラは1960年、クーデターを起こし、議会を解散し、コイララはじめ閣僚を逮捕投獄した。以来、1990年に至るまで、30年にわたり国王による独裁が続くこととなる。マヘンドラ国王はさらに、1962年に憲法を制定する。この憲法は、 すべての政党を禁止する。 パンチャーヤト制という極端な間接民主主義により、国王に有利な政治を行う。 首相や閣僚、主な地方長官は国王が任命する。 といった内容のものであった。 1980年に憲法の改正がなされ、「国家パンチャーヤト」といわれる一種の議会が公選制になるが、政党活動は依然として禁止されていた。
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