ポール・アナコーンとは? わかりやすく解説

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ポール・アナコーン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/02 16:24 UTC 版)

ポール・アナコーン
Paul Annacone
ポール・アナコーン
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・ニューヨーク州サウサンプトン
生年月日 (1963-03-20) 1963年3月20日(54歳)
身長 185cm
体重 79kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1984年
引退年 1998年
ツアー通算 17勝
シングルス 3勝
ダブルス 14勝
生涯通算成績 424勝308敗
シングルス 157勝131敗
ダブルス 267勝177敗
生涯獲得賞金 $1,649,327
4大大会最高成績・シングルス
全豪 4回戦(1987)
全仏 3回戦(1988)
全英 ベスト8(1984)
全米 3回戦(1985・90)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1985)
全仏 ベスト8(1985)
全英 ベスト4(1986)
全米 準優勝(1990)
優勝回数 1(豪1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 ベスト4(1987)
全仏 2回戦(1991)
全英 3回戦(1988・90)
全米 準優勝(1987)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 12位(1986年3月3日)
ダブルス 3位(1987年4月6日)

ポール・アナコーンPaul Annacone, 1963年3月20日 - )は、アメリカニューヨーク州出身の男子プロテニス選手、指導者。1985年全豪オープン男子ダブルスでクリスト・バン・レンスバーグ英語版とペアを組んで優勝した選手である。ATPツアーでシングルス3勝、ダブルス14勝を挙げた。

来歴

4大大会のシングルスでは1985年ウィンブルドン選手権のベスト8が最高成績である。予選から勝ち上がり4回戦で第12シードのヨハン・クリークを 6-3, 6-2, 6-4 で破った。準々決勝では第3シードのジミー・コナーズに 2-6, 4-6, 2-6 で敗れた。

ATPツアーでは、1985年にロサンゼルスブリスベン、1989年にウィーンのシングルス3勝を挙げている。

1985年全豪オープンの男子ダブルスで決勝に進出した。クリスト・バン・レンスバーグ英語版とペアを組み、マーク・エドモンドソンキム・ウォーウィック組を 3-6, 7-6, 6-4, 6-4 で破り優勝した。1990年全米オープン男子ダブルスでデビッド・ウィートンと、1987年全米オープンベッツィ・ナゲルセンと組み準優勝している。

アナコーンは1998年に現役を引退した。引退後は指導者として活動しており、ピート・サンプラスティム・ヘンマンロジャー・フェデラーなどのコーチを務めた。

参考文献




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