ボルフガング・フォン・トリップス(ドイツ)
サーキットではタフィと称されたが、ドイツの伯爵家に生まれ、その称号を受け継いでいた。1954年にレースを始めてからは、いくつかの耐久レースでクラス優勝を収めるなど優れた能力を示し、その家柄や容姿も含めてスター的存在となった。長距離レースはポルシェかフェラーリで参戦したが、後者で走った57年のミレ・ミリアではピエロ・タルフィーに次いで2位入賞。グランプリ・レースではほとんどフェラーリの一員として活躍(59年シーズンは2レースがポルシェ)、61年にはオランダGPとイギリスGPで優勝してポイント・リーダーの位置にあったが、モンツァのイタリアGPでジム・クラークのロータスに追突されて悲劇的な死を遂げた。
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