ペトルス・ギレルミ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 16:10 UTC 版)
デュシェンヌは、サン・ジル修道院(マルヌ管区)にいたペトルス・ギレルミの、1142年の文書について、 Liber Pontificalis of Petrus Guillermi (ウィリアムの息子)と呼んだ。ギレルミの書いたものは、その大半がアラトリのウーゴの甥であるパンドルフォが編集した伝記に多少の追加、削除を行った他の作品からの転載であった。また、パンドルフォの伝記は、レオ9世の伝記を除き、『教皇の書』原本からほぼ完全にコピーしたものである。ホノリウス2世 (1124–1130)まで、およびパスカリス2世 (1099–1118)からウルバヌス2世 (1088–1099)の同時代の情報については他の作品からの転載である。 デュシエンヌは グレゴリウス7世からウルバヌス2世までの伝記を、ピサのパンドルフの著作であるとしている一方で、デュシエンヌ以前の歴史家であるヴィルヘルム・フォン・ギーゼブレヒト やワテリッチなどは、グレゴリウス7世やウィクトル3世、ウルバヌス2世の記述がペトルス・ピサヌスによる著作であり、それに続く伝記がパンドルフによるものだとしている。マルティヌス4世 (1281–1285)までの伝記は、ペトルス・ギレルミが改訂し、オパヴァのマルティンの年代記から利用されたサン・ジル修道院(マルヌ管区)の写本以外は現存していない 。 14世紀初頭には、何者かがペトルス=ギレルミの行った作業を継続し、マルティヌス4世 (d. 1285)からヨハネス22世(1316–1334)までの記述を、 ベルナール・ギーの 『教皇年代記』Chronicon Pontificum)からの情報とともに付け加えたが、1328年に急に終わっている。
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