ベーブ・ルースの引退
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「1935年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ベーブ・ルースの引退」の解説
1932年にリーグ優勝した時まではベーブ・ルースは絶頂期は過ぎても主軸打者として活躍していた。1933年は成績が落ちてきたが打率.301、本塁打34本、打点103で実績を積み上げて通算本塁打700本が目前であった。しかし1934年になると急速に力の衰えが目立つようになった。この頃にルースはヤンキースの監督になることを描いていた。タイ・カッブもロジャース・ホーンスビーもフランキー・フリッシュも選手兼任で監督になっていた時代であったが、オーナーのルパートはルースの監督としての資質に疑問を持ち監督交代は考えていなかった。そして1934年に成績が落ちたことからオーナーは選手としてのルースに見切りをつけてこの年の2月にボストン・ブレーブスに放出した。そしてルースはブレーブスに移籍したが自分が当初思っていたものではなく、シーズン前半に28試合出場で打率.181で本塁打6本の成績で6月2日に引退した。これより前の5月25日の対パイレーツ戦で1試合3本の本塁打を含む4打数4安打を打って、これが野球の革命児ルースの最後の輝きであった。
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