ベンガル・スルターン朝の滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/13 08:09 UTC 版)
「ベンガル・スルターン朝」の記事における「ベンガル・スルターン朝の滅亡」の解説
1532年以降、ベンガル王国の領土は徐々にシェール・ハーンの勢力が進出し、1538年のムハンマド・シャーの死をもって完全に王国はその支配下に置かれた。 1539年、シェール・ハーンはシェール・シャーとして即位し、スール朝を創始したが、1545年に事故死した。その後、1554年その息子イスラーム・シャーが死亡すると、3人の王ムハンマド・アーディル・シャー、イブラーヒーム・シャー、シカンダル・シャーが争い内紛に陥り、1555年にスール朝はムガル帝国に滅ぼされた。 1554年にイスラーム・シャーの死後、スール朝の王族の一人シャムスッディーン・ムハンマド・シャーはスール朝から独立してムハンマド・シャーヒー朝を創始したが、1555年のスール朝の滅亡後、スール朝の3人の王をはじめとするスール朝の一族はベンガルの地をめぐり争った。 また、1564年にムハンマド・シャーヒー朝の最後の王が家臣スライマーン・ハーン・カララーニーに殺され、同じアフガン系のカララーニー朝が成立した。 こうした混乱により、1576年7月にベンガル・スルターン朝はダーウード・ハーン・カララーニーの治世、ムガル帝国のアクバルに滅ぼされた。
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