ベイビー・ドッズとは? わかりやすく解説

ベイビー・ドッズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 05:31 UTC 版)

ベイビー・ドッズ
Baby Dodds
ベイビー・ドッズ(1946年)
基本情報
出生名 Warren Dodds
生誕 (1898-12-24) 1898年12月24日
出身地 アメリカ合衆国 ルイジアナ州ニューオーリンズ
死没 (1959-02-14) 1959年2月14日(60歳没)
アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
ジャンル ジャズディキシーランド・ジャズ
職業 ドラマー
担当楽器 ドラム
レーベル フォンタナ
共同作業者 ジョニー・ドッズジェリー・ロール・モートン、アート・ホーディス
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ベイビー・ドッズが使っていたドラムセット

ベイビー・ドッズBaby Dodds1898年12月24日 - 1959年2月14日)は、ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれたジャズドラム奏者である。

生涯・人物

ベイビー・ドッズはクラリネット奏者、ジョニー・ドッズの弟である。ベイビー・ドッズは初期のジャズドラマーとして重要な存在とされ、ビッグ・バンド登場以前の最上のジャズ・ドラマーのひとりに数えられた。

ドッズは、ニューオーリンズで最高の若手ドラマーとしての名声を得て、まもなく若かりしルイ・アームストロングミシシッピー川の蒸気船バンドでともに演奏をするようになった。ドッズはキング・オリヴァーと演奏をするため、1921年にオリヴァーのいるカリフォルニア州へ移り、オリヴァーについてシカゴへ移り、そこがドッズの仕事の本拠地になることとなった。

ドッズは、ルイ・アームストロング、ジェリー・ロール・モートン、アート・ホーディス、それに兄のジョニー・ドッズらと録音を行った。1940年代の後期には、ドッズはニューヨーク市でジミー・ライアンのバンドで演奏をした。ドッズがニューオーリンズへ帰郷した時は、バンク・ジョンソンと録音することもあった。1959年、ドッズはシカゴで死去した。60歳没。

ドッズは、録音中に即興演奏を行う最初のドラマーのひとりであり、アクセントや華麗な身振りでドラム・パターンに変化を添えた。また、どの曲も毎回コーラスごとに何かしら違った演奏をすることを信条としていた。また、フロア・バスや「キック・ドラム」を追加することにより、ドラム・キットに大きな変革をもたらした。

ディスコグラフィ

リーダー・アルバム

  • Talking And Drum Solos (1951年、Folkways)
  • Baby Dodds No.1 (1951年、American Music)
  • Baby Dodds No.2 (1951年、American Music)
  • Baby Dodds No.3 (1951年、American Music)
  • Out Of The Back Room (1952年、Blue Note) ※with アート・ホーディス、マックス・カミンスキー、アルバート・ニコラスオマー・シメオン、サンディ・ウィリアムズ

参考文献

  • The Baby Dodds Story - Larry Gara によるドッズとの広範囲にわたるインタビューを元にした伝記、1959年初版、ISBN 978-1888408089

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