ベイビー・ドッズ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/13 00:56 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ベイビー・ドッズ | |
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基本情報 | |
出生名 | ウォーレン・ドッズ |
生誕 |
1898年12月24日![]() ルイジアナ州ニューオーリンズ |
出身地 |
![]() ルイジアナ州ニューオーリンズ |
死没 |
1959年2月14日(60歳没)![]() イリノイ州シカゴ |
ジャンル | ジャズ、ディキシーランド・ジャズ |
職業 | ドラマー |
担当楽器 | ドラムス |
共同作業者 |
ジョニー・ドッズ ジェリー・ロール・モートン アート・ホーディス |
“ベイビー”ウォーレン・ドッズ(Warren "Baby" Dodds、1898年12月24日 - 1959年2月14日)は、ルイジアナ州ニューオーリンズに生まれたジャズ・ドラム奏者である。
生涯・人物
“ベイビー”・ドッズはクラリネット奏者、ジョニー・ドッズの弟である。“ベイビー”・ドッズは初期のジャズ・ドラマーとして重要な存在とされ、ビッグ・バンド登場以前の最上のジャズ・ドラマーのひとりに数えられた。
ドッズは、ニューオーリンズで最高の若手ドラマーとしての名声を得て、まもなく若かりしルイ・アームストロングとミシシッピー川の蒸気船バンドでともに演奏をするようになった。ドッズはキング・オリヴァーと演奏をするため、1921年にオリヴァーのいるカリフォルニア州へ移り、オリヴァーについてシカゴへ移り、そこがドッズの仕事の本拠地となることとなった。
ドッズは、ルイ・アームストロング、ジェリー・ロール・モートン、アート・ホーディス en:Art Hodes、それに兄のジョニー・ドッズらと録音をした。1940年代の後期には、ドッズはニューヨーク市でジミー・ライアン Jimmy Ryanのバンドで演奏をした。ドッズがニューオーリンズへ帰郷した時は、バンク・ジョンソン en:Bunk Johnson と録音することもあった。1959年、ドッズはシカゴで死去した。60歳没。
ドッズは、録音中に即興演奏を行う最初のドラマーのひとりであり、アクセントや華麗な身振りでドラム・パターンに変化を添えた。また、どの曲も毎回コーラスごとに何かしら違った演奏をすることを信条としていた。また、フロア・バスや「キック・ドラム」を追加することにより、ドラム・キットに大きな変革をもたらした。
より詳しい文献
- The Baby Dodds Story - Larry Gara によるドッズとの広範囲にわたるインタビューを元にした伝記、1959年初版、ISBN 978-1888408089。
外部リンク
- Baby Dodds - Encyclopedia of Early Jazz 日本語で読めるBaby Doddsの経歴。
- redhotjazz.com による伝記とオーディオ・ファイル
- ベイビー・ドッズの演奏作品の抜粋目録[リンク切れ] - en:Folkways Records による。
- Baby's Story ~『The Baby Dodds Story』日本語翻訳~[リンク切れ] - 上記「The Baby Dodds Story」の日本語訳。
固有名詞の分類
アフリカ系アメリカ人のミュージシャン |
バリー・ホワイト フレッチャー・ヘンダーソン ベイビー・ドッズ ウルトラ・ナテ クィーン・ラティファ |
アメリカ合衆国のドラマー |
サンディ・ウェスト エリック・シンガー ベイビー・ドッズ パット・トーピー ジョー・ジョーンズ |
ニューオーリンズのジャズ・ミュージシャン |
スペンサー・ウィリアムズ キング・オリヴァー ベイビー・ドッズ ロレンツォ・ティオ ジョージ・バケー |
ディキシーランド・ジャズのミュージシャン |
ハーパー・ゴフ キング・オリヴァー ベイビー・ドッズ ジョニー・ドッズ アッカー・ビルク |
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