ヘンリー・ブリッジス_(第2代シャンドス公爵)とは? わかりやすく解説

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ヘンリー・ブリッジス (第2代シャンドス公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/25 03:40 UTC 版)

第2代シャンドス公爵と家族の肖像画。

第2代シャンドス公爵ヘンリー・ブリッジス英語: Henry Brydges, 2nd Duke of Chandos1708年1月17日 - 1771年11月28日)は、イギリスの貴族。

シャンドス公爵家嫡男だった頃の1727年から1744年までカーナーヴォン侯爵 (Marquess of Carnarvon) の儀礼称号で称された。

経歴

1708年1月17日、初代シャンドス公爵ジェイムズ・ブリッジスとその妻メアリー(旧姓レイク)の間の次男として生まれる。兄にジョンがあったが、この兄は1727年に父に先立って死去したため、それ以降は彼が嫡男だった[1]

ウェストミンスター・スクールを経て、ケンブリッジ大学セント・ジョン・カレッジ英語版へ進学[2]

1727年から1734年にかけてヘレフォード選挙区英語版、1734年から1741年にかけてステニング選挙区英語版、1741年から1744年にかけてビショップズ・キャッスル選挙区英語版から選出されてホイッグ党所属の庶民院議員を務める[3][4]

1728年から1735年まで皇太子フレデリック・ルイスの寝室侍従長を務める。ついで1735年から皇太子の主馬頭(Master of the Horse)を務め、さらに1742年から1751年にかけては皇太子の宮内官英語版を務めた[4]

1738年から1739年にかけてはフリーメイソンイングランド・首位グランドロッジ英語版のグランドマスターを務めた[4]

1744年8月9日に父が死去し、第2代シャンドス公爵位を継承し、貴族院議員に転じた[3][4]

1771年11月28日にハンプシャーブリッジスデン英語版で死去[2]

栄典

爵位・準男爵位

  • 1744年8月9日第2代シャンドス公爵 (Duke of Chandos)
    (1719年グレートブリテン貴族爵位)
  • 1744年8月9日、第2代カーナーヴォン侯爵 (Marquess of Carnarvon)
    (1719年創設グレートブリテン貴族爵位)
  • 1744年8月9日、第2代カーナーヴォン伯爵 (Earl of Carnarvon)
    (1714年創設グレートブリテン貴族爵位)
  • 1744年8月9日、ヘレフォード州における第2代ウィルトン子爵 (Viscount Wilton in the county of Hereford)
    (1714年創設グレートブリテン貴族爵位)
  • 1744年8月9日、グロスター州におけるスードリーの第10代シャンドス男爵 (Baron Chandos, of Sudeley in the county of Gloucester)
    (1554年創設イングランド貴族爵位)
  • 1744年8月9日、ヘレフォード州におけるウィルトンの第5代ブリッジス準男爵 (6th Baronet Brydges, of Wilton in the county of Hereford)
    (1627年創設イングランド準男爵位)[3]

家族

1728年に第4代エルギン伯爵チャールズ・ブルースの娘メアリーと結婚し、彼女との間に第3代シャンドス公爵位を継承するジェイムズ・ブリッジスはじめ1男1女を儲けた。メアリーと1738年に死別し、1744年にアン・ジェフリーズと再婚したが、子供のないまま、1759年に死別した。1767年に初代準男爵ジョン・メージャー英語版の娘エリザベスと三度目の結婚をしたが、彼女との間にも子供はできなかった[3][4]

出典

  1. ^ Lundy, Darryl. “James Brydges, 1st Duke of Chandos” (英語). thepeerage.com. 2015年9月29日閲覧。
  2. ^ a b "Brydges, Lord Henry (BRGS723LH)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ a b c d Lundy, Darryl. “Henry Brydges, 2nd Duke of Chandos” (英語). thepeerage.com. 2015年9月29日閲覧。
  4. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. “Chandos, Duke of (GB, 1719 - 1789)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2015年9月28日閲覧。
グレートブリテン議会英語版(グレートブリテン議会)
先代
ハーバート・ラドホール・ウェストファーリング
ジェイムズ・ウォルウィン
ヘレフォード選挙区英語版
選出庶民院議員

1727年1734年
同一選挙区同時当選者
トマス・ジールズ
次代
トマス・フォーリー英語版
サー・ジョン・モーガン準男爵英語版
先代
トマス・ブレーデン英語版
初代ヴェーン子爵
ステニング選挙区英語版
選出庶民院議員

1734年1741年
同一選挙区同時当選者
ロバート・ファッグ 1734–1740
ヒッチ・ヤング (1740–1741)
次代
チャールズ・エヴァーズフィールド
ヒッチ・ヤング
フリーメイソン
先代
第2代ダーンリー伯爵
イングランド・首位グランドロッジ
グランドマスター英語版

1738年–1739年
次代
第2代レイモンド男爵
グレートブリテンの爵位
先代
ジェイムズ・ブリッジス
第2代シャンドス公爵
1744年–1771年
次代
ジェイムズ・ブリッジス



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