ヘンリー・カニンガム_(初代カニンガム侯爵)とは? わかりやすく解説

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ヘンリー・カニンガム (初代カニンガム侯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/29 22:15 UTC 版)

初代カニンガム侯爵
ヘンリー・カニンガム
Henry Conyngham
1st Marquess Conyngham
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Clip
侯爵を描いたカリカチュア
王室家政長官英語版
任期
1821年 – 1830年
君主 ジョージ4世
前任者 初代チャムリー侯爵
後任者 初代バッキンガム=シャンドス公爵
個人情報
生誕 1766年12月26日
イギリスロンドン
死没 1832年12月28日(1832-12-28)(66歳没)
イギリスロンドンピカデリー
配偶者 エリザベス・デニソン英語版

初代カニンガム侯爵ヘンリー・バートン・カニンガム: Henry Burton Conyngham, 1st Marquess Conyngham, KP,GCH,PC, FRS1766年12月26日-1832年12月28日)は、イギリスの政治家・貴族。

経歴

1766年12月26日アイルランド貴族の第2代カニンガム男爵フランシス・カニンガムとその妻エリザベス(旧姓クレメンツ)の間の長男としてロンドンに生まれる[1]

1787年5月に父の死により第3代カニンガム男爵位を継承した。1789年5月には考古学協会フェローとなる[2]。同年12月にはアイルランド貴族のカニンガム子爵に叙せられた[3]。1794年にエリザベス英語版と結婚したが、ヘンリーはこの妻のおかげでのちに出世することとなる。

在郷軍人と治安判事としての実績を買われて[1]1797年カニンガム伯爵マウント・チャールズ子爵に叙せられた[4]

アイルランド合同を強く支持し、併合後の1801年アイルランド貴族代表議員に選出されている。同年、聖パトリック騎士団が誕生すると、ヘンリーはナイトとして創設時のメンバーに選ばれた[2]1803年から1831年にかけてはカウンティ・ドニゴール総督(Governor of County Donegal)、1808年から死去までカウンティ・クレア主席治安判事英語版を務めた[2]

妻エリザベスが1820年ごろから摂政ジョージ王太子と親しく付き合っており(いわゆるロイヤル・ミストレス[5]、その兼ね合いで1816年1月にカニンガム侯爵マウント・チャールズ伯爵スレーン子爵に叙せられた[1][6](すべてアイルランド貴族爵位)。1821年に王太子が国王ジョージ4世として即位すると、ヘンリーは7月に連合王国貴族ミンスター男爵に叙された[7](これにより彼以降の当主は自動的に貴族院議員となる)。同年12月に枢密顧問官に列するとともに王室家政長官英語版に就任した[2][8]。また1829年からはウィンザー城管理長官英語版も兼ね、死去するまで務めた[1]

ジョージ4世が崩御するとたちまち影響力を失い、1830年に王室家政長官を退任した[1]

1832年12月28日、ロンドン・ピカデリーハミルトン・プレイス英語版で死去した[1][2]

栄典

爵位

  • 1787年5月22日、第3代カニンガム男爵(1781年創設アイルランド貴族爵位)
  • 1789年12月6日、初代カニンガム子爵(アイルランド貴族爵位)
  • 1797年12月27日、初代カニンガム伯爵(アイルランド貴族爵位)
  • 1797年12月27日、初代マウント・チャールズ子爵(アイルランド貴族爵位)
  • 1816年1月15日、初代カニンガム侯爵(アイルランド貴族)
  • 1816年1月15日、初代マウント・チャールズ伯爵(アイルランド貴族)
  • 1816年1月15日、初代スレーン子爵(アイルランド貴族)
  • 1821年7月17日、初代ミンスター男爵(連合王国貴族爵位)

勲章

家族

エリザベス英語版。ジョージ4世のロイヤル・ミストレスとなる。

銀行家ジョゼフ・デニソン英語版の娘エリザベス英語版と結婚し、彼女との間に以下の5子を儲けた[9]

出典

  1. ^ a b c d e f Henry Morse Stephens (1887). “Conyngham, Henry” . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 12. London: Smith, Elder & Co.
  2. ^ a b c d e Cokayne, G. E. (1912). Gibbs, Vicary (ed.). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 411–412.
  3. ^ “No. 13156”. The London Gazette (英語). 8 December 1789. p. 773.
  4. ^ “No. 14064”. The London Gazette (英語). 11 November 1797. p. 1081.
  5. ^ ベイカー, ケネス 著、樋口幸子 訳『英国王室スキャンダル史』河出書房新社、1997年、104頁。 ISBN 978-4309223193 
  6. ^ “No. 17104”. The London Gazette (英語). 30 January 1816. p. 173.
  7. ^ “No. 17724”. The London Gazette (英語). 14 July 1821. p. 1461.
  8. ^ “No. 17772”. The London Gazette (英語). 11 December 1821. p. 2405.
  9. ^ Lundy, Darryl. “General Sir Henry Conyngham, 1st Marquess Conyngham” (英語). thepeerage.com. 2015年8月27日閲覧。
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
新設
アイルランド貴族代表議員
1800年-1832年
次代
第2代ダウンズ男爵英語版
公職
先代
初代チャムリー侯爵
家政長官英語版
1821年-1830年
次代
初代バッキンガム=シャンドス公爵
名誉職
先代
第3代ハリントン伯爵英語版
ウィンザー城管理長官英語版
1829年1832年
次代
初代マンスター伯爵
アイルランドの爵位
爵位創設 初代カニンガム侯爵
1816年-1832年
次代
フランシス・カニンガム
初代カニンガム伯爵
1797年-1832年
初代カニンガム子爵
1789年1832年
先代
フランシス・カニンガム
第3代カニンガム男爵
1787年-1832年
イギリスの爵位
爵位創設 初代ミンスター男爵
1821年-1832年
次代
フランシス・カニンガム



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