ヘッセン方伯時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 14:16 UTC 版)
「ダルムシュタット」の記事における「ヘッセン方伯時代」の解説
1476年にダルムシュタットはヘッセン方伯領となった。この時、都市権の安堵と引き替えに方伯の借金を押しつけられ経済状況が悪化した。またこの頃から市参事会と市民階級の間に齟齬が生じ、都市の行政機能が二重化していった。1567年にヘッセン方伯家が分裂し、ヘッセン=ダルムシュタット方伯家が創設され、この都市は宮廷所在地となり、新たな発展の時代を迎えた。しかし、三十年戦争が激化すると方伯は、防衛施設の脆弱なダルムシュタットを捨て、ギーセンに遷ってしまった。かつてダルムシュタットの繁栄を支えたベルクシュトラーセは、各国の軍隊の通り道となり、この街は何度も占領され、略奪を受け、飢餓に苛まれた。またこれらの軍隊や、それを避けて逃げ込んだ周辺農民たちにより持ち込まれるペストにも苦しめられた。三十年戦争終結後は交易の回復とともにゆっくりと再興していった。だが、1693年にはフランス軍に攻撃され、また方伯家の浪費癖が禍し、経済的には苦しい状況が続いた。
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