プピエヌスとバルビヌスの殺害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:43 UTC 版)
「ローマ内戦 (238年)」の記事における「プピエヌスとバルビヌスの殺害」の解説
マクシミヌスが舞台から消え、プピエヌスはローマに戻ったもの、ローマの混乱は収まる気配を見せず、また当初よりプピエヌスとバルビヌスは不仲であり、片方がもう片方からの暗殺を恐れ、企画したペルシア(サーサーン朝)への遠征を巡って口論も絶えなかったという。 7月29日、近衛隊(プラエトリアニ)はこれに介入してプピエヌスとバルビヌスを捕らえて共に殺害した(拷問にかけ、街中を見せしめのために引き回した後に殺害したという)。同日中に、ゴルディアヌス3世が唯一の皇帝であると宣言された。二人の在位期間は99日間であった。
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