ブントの分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:52 UTC 版)
1970年、日米安全保障条約は自動更新され、学園闘争も当局側が勝利し、一般学生は急速に運動から離れて行った。学生運動においても、中軸的存在である共産主義者同盟(ブント)が、革命戦争路線の赤軍派を最左翼に、それと正反対の叛旗派、情況派(後の遠方派)を最右翼とし、戦旗派(荒派)、烽火派、その他(神奈川県左派、南部地区委員会の合同による蜂起派(連合戦旗派)等)へと分裂し、四分五裂状態となる。
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