ブグト碑文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 21:11 UTC 版)
ブグト碑文(ブグトひぶん)は、突厥時代の碑文で、発見地のブグトからその名がつけられた。現在はモンゴル国アルハンガイ県ツェツェルレグ市の県立博物館の庭に置かれている。突厥時代の碑文としては最古のもので、第4代の他鉢可汗(タトパル・カガン[1]、在位:572年 - 581年)の時代に建てられたものとされる。
- ^ 以前まではソ連のクリャシュトルヌィ、リフシツらの調査により、βγ't'sp'r γ'γ'n(バガ・タスパル・カガン)とされてきたが、1997年の森安孝夫らによる調査によってmγ't'tp'r x'γ'n(マガ・タトパル・カガン)であることが確認された。
- ^ テュルク語は突厥内のテュルク系民族のみで使用され、その他の被支配民族を含む可汗国全体ではソグド語が公用語として使われていたとされる。テュルク語が突厥可汗国の公用語として使われるようになるのは、おそらく第二可汗国時代になってからである。それはチョイレン銘文以降の碑文によってわかる。
- ^ ビルゲ・カガン碑文にも干支が記載されている(小野川秀美「突厥碑文訳注」64頁『満蒙史論叢 第4巻』pp249-425、1943年)に「我ガ父可汗戊歳十月二十六」とある)
- ^ これらはあくまでソグド語の発音であり、テュルク語がどう発音したのかはまだわからない。
- 1 ブグト碑文とは
- 2 ブグト碑文の概要
- 3 参考資料
- 4 関連項目
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