フレデリック・タウンゼント・ウォードとは? わかりやすく解説

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ウォード【Frederick Townsend Ward】

読み方:うぉーど

[1831〜1862]米国冒険家中国名華爾太平天国の乱の時、外人部隊組織して清朝協力常勝軍よばれた。慈谿(じけい)の戦いで戦死


フレデリック・タウンゼント・ウォード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/20 04:28 UTC 版)

フレドリック・タウンゼント・ウォード
Frederick Townsend Ward
1861年
生誕 1831年11月29日
アメリカ合衆国マサチューセッツ州セイラム
死没 (1862-09-21) 1862年9月21日(30歳没)
浙江省慈渓市
所属組織 フランス陸軍
常勝軍
軍歴 1854年 - 1855年(フランス)
1860年 - 1862年(清)
最終階級 中尉(フランス)
将軍(清)
出身校 アメリカ文学、科学、軍事アカデミー(現・ノリッジ大学英語版バーモント州陸軍士官学校)
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フレデリック・タウンゼント・ウォード
各種表記
繁体字 華爾
簡体字 华尔
拼音 HuáFēiliè
ラテン字 Hua2 Fei1-lieh4
英語名 Frederick Townsend Ward
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瞻園・太平天国歴史博物館にある墓石

フレデリック・タウンゼント・ウォードFrederick Townsend Ward ,1831年11月29日 - 1862年9月21日)は、アメリカ人船員軍人。中国名は華爾19世紀半ばに勃発した太平天国の乱に際して常勝軍を組織したが、その戦いの中で戦死した。

生涯・人物

1831年アメリカ合衆国マサチューセッツ州で生まれた。太平天国の乱による中国国内の混乱が続く中、1860年、上海商人の要請を受けて外国人船員による洋槍隊を組織した。これが常勝軍の起源となる。この際の軍隊は解散したが、その後中国人を中心として軍を再編成し、戦いを継続させた。しかし、1862年慈渓の戦いで戦死した。彼の死後、常勝軍はアメリカ人のヘンリー・バージェヴィンによって率いられることになった。

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