フルトヴェングラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:01 UTC 版)
「レナード・バーンスタイン」の記事における「フルトヴェングラー」の解説
1950年、フルトヴェングラーがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演した際、ちょうどアムステルダムに仕事で滞在していたバーンスタインはフルトヴェングラーの演奏会を聴きに行き、特にブラームスの交響曲第1番に呪縛された。演奏会終了後、楽屋を訪ねようとしたが、ナチスの協力者とされているフルトヴェングラーをユダヤ人のバーンスタインが訪問するというのは政治的にも非常に危険なことだと彼のエージェントに止められたため(当日演奏会場の外では、フルトヴェングラーが第二次世界大戦中ドイツに留まったことを非難するデモが行われていた)、断念せざるをえなかった。そしてついにこの二人の天才的な芸術家が個人的な面識を持つチャンスは永遠に失われたのであった。フルトヴェングラーの死後、バーンスタインはフルトヴェングラーの日記を読む機会があり、アムステルダムでのフルトヴェングラーの演奏会の数日後、バーンスタインの演奏会をフルトヴェングラーが聴きに行き、この若いアメリカの指揮者に完全に魅了された、とあった。演奏会後にバーンスタインに会おうとしたが、やはり政治的な問題もあり、自分は人見知りする性質なので諦めたと書かれていた。
※この「フルトヴェングラー」の解説は、「レナード・バーンスタイン」の解説の一部です。
「フルトヴェングラー」を含む「レナード・バーンスタイン」の記事については、「レナード・バーンスタイン」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書からフルトヴェングラーを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からフルトヴェングラー を検索
- フルトヴェングラーのページへのリンク