フランシスコ・ルフェテとは? わかりやすく解説

フランシスコ・ルフェテ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 02:26 UTC 版)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はペレス第二姓(母方の)はルフェテです。(Template:スペイン語圏の姓名
フランシスコ・ルフェテ
エスパニョールでのルフェテ (2009年)
名前
本名 フランシスコ・ホアキン・ペレス・ルフェテ
Francisco Joaquín Pérez Rufete
ラテン文字 Francisco Rufete
基本情報
国籍 スペイン
生年月日 (1976-11-20) 1976年11月20日(45歳)
出身地 ベネフサル
身長 176cm
体重 74kg
選手情報
ポジション FW / MF (RWG, RSH)
利き足 右足
ユース
アトレティコ・ベネフサル
1992-1995 バルセロナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995 バルセロナC 12 (3)
1995-1997 バルセロナB 45 (0)
1996 バルセロナ 1 (0)
1997-1998 トレド 38 (5)
1998-1999 マジョルカ 0 (0)
1999 マラガ (loan) 20 (5)
1999-2001 マラガ 65 (9)
2001-2006 バレンシア 132 (13)
2006-2009 エスパニョール 57 (1)
2009-2011 エルクレス 46 (0)
通算 416 (36)
代表歴
1992-1993  スペイン U-16 19 (0)
1994-1995  スペイン U-18 9 (0)
2000 スペイン 3 (0)
監督歴
2018 イビサ
2020 エスパニョール (暫定)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランシスコ・ホアキン・ペレス・ルフェテ(Francisco Joaquín Pérez Rufete, 1976年11月20日 - )は、スペインバレンシア州ベネフサル出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはFWまたはMF。元スペイン代表

クラブ経歴

初期の経歴

FCバルセロナの下部組織出身で、1996年5月25日(シーズン最終節)のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦(2-2)でトップチームデビューしたが、トップチームでの出場はこの1試合だけに終わった。1997-98シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)のCDトレドにレンタル移籍し、38試合に出場して5得点と活躍した。1998年夏にプリメーラ・ディビシオン(1部)のRCDマジョルカに完全移籍したが、1998-99シーズン前半戦はまったく試合に出場できず、1999年1月にセグンダ・ディビシオンのマラガCFに移籍した。マラガCFはセグンダ・ディビシオンB(3部)から昇格したばかりであったが、MFホセ・マリア・モビージャやFWカターニャとともにセグンダ・ディビシオン昇格に貢献し、1999-2000シーズンと2000-01シーズンもマラガCFでプレーした。

バレンシアCF

2001年夏にプリメーラ・ディビシオンのバレンシアCFに移籍した。2001-02シーズンは絶対的なレギュラーではなかったが、シーズンを通して良好なパフォーマンスで貢献し、リーグ優勝を果たした。2004年3月14日のセルタ・デ・ビーゴ戦(2-0)では1試合2得点し、2003-04シーズンには再びリーグ優勝を果たしたが、2006年夏にキケ・サンチェス・フローレス監督が就任するとルフェテは放出要員となった。

RCDエスパニョール

2006年7月にフリートランスファーでRCDエスパニョールに移籍し[1]、FCバルセロナの下部組織で一緒にプレーしたイバン・デ・ラ・ペーニャと再びチームメートになった。2006-07シーズンのUEFAカップでは11試合に出場し、決勝に進出したがセビージャFCに敗れた。2007-08シーズンは負傷で何度も戦線離脱した。

エルクレスCF

2009年7月中旬、RCDエスパニョールを放出され、故郷に近いエルクレスCFに2年契約(1年の延長オプション付き)移籍した。すでに32歳になっていたが、2009-10シーズンのセグンダ・ディビシオンでは2000分近い出場時間を記録し、13年ぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格に貢献した。11-12シーズンは、チームと契約が残っていたものの、出場選手登録から外れたため、出場機会を得られなかった。

その後、現役引退。指導者の道へ進んだ。

引退後

2013年夏から古巣バレンシアのカンテラの統括部長となり、セビージャBに所属していた指宿洋史の獲得に携わった[2]。同年11月25日にアマデオ・サルボCEOによってトップチームのスポーツディレクターに選任された[3]。12月にはミロスラヴ・ジュキッチを解任してフアン・アントニオ・ピッツィを招聘するなど改革を断行した。

2015年6月にはジョルジュ・メンデスを代理人とするロドリゴ・カイオ獲得を巡って同じくメンデスが代理人であるヌーノ・エスピーリト・サント監督との確執が表面化し、7月1日にサルボと共にSDを退任した[4][5]

その後、セグンダ・ディビシオンB(スペイン3部)のUDイビサの監督を経てRCDエスパニョールのスポーツディレクターに就任。

2020年6月27日、成績不振によりアベラルド・フェルナンデス監督が解任されると2019-2020シーズン終了までの暫定監督に就任。シーズン終了後からは、同クラブの強化担当をしている。

代表経歴

2000年3月29日にバルセロナで行われたイタリアとの親善試合(2-0)で、後半途中にホセバ・エチェベリアと交代出場してスペイン代表デビューした。同年には2試合を加え、スペイン代表としては通算3試合に出場した。

タイトル

クラブ

代表

脚注

外部リンク





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