フランシスコ・ロサスとは? わかりやすく解説

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フランシスコ・ロサス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/20 03:01 UTC 版)

フランシスコ・ロサス
基本情報
本名 フランシスコ・ロサス・メリーノ
通称 Chiquita(少年)
階級 ライトフライ級
国籍 メキシコ
誕生日 (1980-04-04) 1980年4月4日(43歳)
出身地 メヒコ州ネサワルコヨトル市
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 34
勝ち 22
KO勝ち 12
敗け 10
引き分け 2
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フランシスコ・ロサスFrancisco Rosas1980年4月4日 - )は、メキシコ男性プロボクサーメヒコ州ネサワルコヨトル市出身。

来歴

アマチュアで53勝7敗の戦績を残し[1]、その後プロへ転向。1998年8月15日、メキシコシティでのプロデビュー戦に判定勝利を収めた。2003年3月14日、ソノラ州でメキシコミニマム級王座に挑戦し、0-3の判定負けを喫した。同年8月9日、メキシコシティで行われた再起戦で空位のFECARBOXライトフライ級王座決定戦でウンベルト・プールと対戦し、3-0の判定勝ちを収め、王座を獲得した。

2004年6月24日、メキシコシティで行われた3度目の防衛戦で、エドガル・ソーサに0-3の判定負けを喫して王座から陥落した。

2005年3月6日、大阪市中央公会堂で行われた戎岡淳一との49.4kg契約10回戦では、4回にダウンを喫したがスリップと裁定され、後半は挽回し2-1の判定勝ちを収めた[2]。同年8月21日、尼崎アルカイックホールで行われた中島健との50.0kg契約10回戦では3回にダウンを奪ったが、0-2の判定負けを喫した[3]

2008年4月26日、イバン・メネセスとのFECARBOXフライ級王座決定戦で3-0の判定勝ちを収め、王座を獲得した。同年11月22日、ヌエボ・レオン州モンテレイのプラザ・デ・トロスでジャン・ピエロ・ペレスWBA世界フライ級挑戦者決定戦で対戦し、12回1-1(116-115、115-115、112-117)の三者三様の判定で引分となった為、WBA世界フライ級王座への挑戦権獲得に失敗した。

2009年2月28日、オアハカでWBA世界ミニマム級王者ローマン・ゴンサレスに挑戦し、12回0-2(114-114、112-116、113-115)の判定負けを喫した。同年8月15日にキンタナ・ロー州で行われた再起戦で、WBA世界ライトフライ級暫定王座決定戦を同3位として1位ファン・カルロス・レベコと争ったが、1-2の判定負けを喫した[4]。2010年1月30日にはプエブラ州で2連敗からの再起戦としてファン・ランダエタとWBA世界ライトフライ級挑戦者決定戦で対戦し、2-0の判定勝ちを収め、WBA世界ライトフライ級王座への挑戦権を獲得した。

2010年10月24日、ローマン・ゴンサレスとのWBA世界ライトフライ級暫定王座決定戦を両国国技館で行い、2回1分38秒KO負けを喫し、王座獲得に失敗した。

2011年9月10日、フィリピンセブ州セブ市バランガイラホッグのウォーターフロント・ホテル&カジノでミラン・メリンドWBOインターコンチネンタルフライ級王座決定戦で対戦し、ロサスの10回終了時棄権を申し出た為王座獲得に失敗した。

獲得タイトル

脚注

関連項目

外部リンク




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