フジモリ大統領の支持率低下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/20 01:48 UTC 版)
「ペルー早稲田大学探検部員殺害事件」の記事における「フジモリ大統領の支持率低下」の解説
フジモリ大統領は、ハイパーインフレーションと国家財政の破綻状況にあったペルーを公共料金や生活必需品の大幅値上げのショック療法と新自由主義的政策でペルー経済を立て直し、1995年の大統領選挙を優位に進め、再選された。しかし、二期目に入り、経済成長が鈍化し、進まない社会改革が批判されるようになった。1997年のフジモリ大統領の支持率は、支持41%、不支持52%となり、初めて不支持率が上回った。
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