フアン・アランゴとは? わかりやすく解説

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フアン・アランゴ

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 08:25 UTC 版)

フアン・アランゴ
クラブ・ティフアナ時代(2015年)
名前
本名 フアン・フェルナンド・アランゴ・サエンス
Juan Fernando Arango Sáenz
愛称 Arangol[1](アランゴル)、
Caribbean Hurricane[2](カリビアン・ハリケーン)
ラテン文字 Juan ARANGO
基本情報
国籍 ベネズエラ
生年月日 (1980-05-16) 1980年5月16日(43歳)
出身地 マラカイ
身長 180cm
体重 76kg
選手情報
ポジション MF / FW
利き足 左足
ユース
1986–1996 ベネズエラ中央大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1996-1999 ヌエバ・カディスFC
1999 スリアノス 12 (0)
2000 カラカス 19 (5)
2000-2001 モンテレイ 45 (6)
2001-2003 パチューカ 52 (16)
2003-2004 プエブラ 36 (8)
2004-2009 マヨルカ 183 (45)
2009-2014 ボルシアMG 154 (25)
2014-2016 ティフアナ 45 (11)
2016-2017 ニューヨーク・コスモス 32 (15)
代表歴2
1999-2015 ベネズエラ 129 (22)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年9月21日現在。
2. 2015年9月9日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フアン・フェルナンド・アランゴ・サエンス(Juan Fernando Arango Sáenz, 1980年5月16日 - )は、ベネズエラマラカイ出身の元サッカー選手。ポジションはMFFW

ベネズエラ代表国際Aマッチ最多出場記録保持者。欧州主要リーグでプレーする数少ないベネズエラ人選手として活躍した。

クラブ経歴

キャリア初期

両親はコロンビア出身であり[3]、フェルナンドが生まれる前にベネズエラのマラカイに移住した。14歳の時にベネズエラ中央大学サッカークラブの下部組織に入団し、両親と離れて首都カラカスにひとり移り住んだ。入団直後にU-20チームに昇格し、早熟の天才として一躍世間の注目を集めた[3]。1997年、16歳の時にセグンダ・ディビシオン(2部)のヌエバ・カディスFCからプロデビューし、スリアノスFCでプリメーラ・ディビシオン・ベネゾラーナ(1部)に昇格を果たした。1999年に強豪カラカスFCに移籍したが、6ヶ月プレーした後にメキシコ・プリメーラ・ディビシオン(1部)のCFモンテレイに放出された。

RCDマジョルカ

その後はCFパチューカプエブラFCにも所属し、2004年には、CFモンテレイ時代に指導を受けたベニート・フローロ監督が率いるスペイン・リーガ・エスパニョーラRCDマジョルカに1年契約で移籍した[4]。2005年3月20日、セビージャFC戦でDFハビ・ナバーロの肘を受けて意識を失い、頬骨を骨折して舌を飲み込んで一時は危篤状態になる事故があったが[5][6]、2004-05シーズン中に復帰した。2005年9月のレアル・ソシエダ戦ではスローインを受けて振り向きざまにボレーシュートを決めるなどハットトリックを達成し[7]、2005-06シーズンはチーム内得点王となる11得点を挙げた。2006年、EFEはアランゴをリーガ・エスパニョーラでプレーする南米最優秀選手賞の3位に選出した。2007年3月にはスペイン国籍を取得した。2008年3月9日、7-1で大勝したレクレアティーボ・ウェルバ戦ではFWダニエル・グイサとともに自身初のハットトリックを達成した。この試合の活躍などでグイサは2007-08シーズンの得点王(ピチーチ賞)に輝いた[8]。2005-06シーズンからの3シーズンでリーグ戦の欠場はわずか1試合にとどまり、2005-06シーズンは11得点、2007-08シーズンは12得点するなど、多くの得点を挙げた。2009年5月17日のFCバルセロナ戦では彼らに18試合ぶりの黒星をつける同点フリーキックを決めた。

ボルシアMG

ボルシアMG時代(2010年)

2009年6月26日、RCDマジョルカとの契約が切れる1年前に移籍金330万ユーロでドイツ・ブンデスリーガボルシア・メンヒェングラートバッハと3年契約を交わした[9]。8月1日に行われたDFBポカールFSVフランクフルト戦でデビューして初得点も決めた。8月9日のVfLボーフム戦でブンデスリーガデビューし、この試合で先制点を挙げた[10]。2009-10シーズンはチーム最多の8アシストを記録した。

キャリア晩年

2014年5月21日、恩師セサル・ファリアスが率いるクラブ・ティフアナに加入し、10年ぶりにメキシコに復帰[11]。2016年1月29日、NASLニューヨーク・コスモスへ移籍した[12]

代表経歴

1999年1月27日のデンマーク戦でベネズエラ代表デビューした。アランゴはベネズエラ代表としてコパ・アメリカに4回出場している。2004年初夏に開催されたコパ・アメリカ2004ではグループリーグ3試合すべてに出場したが、グループリーグで敗退した。母国開催となったコパ・アメリカ2007ではグループリーグを1位で通過し、準々決勝のウルグアイ戦では1得点を挙げたが、1-4で敗れた。2008年1月にヌエバ・カディスFC時代の恩師セサル・ファリアス監督が就任すると、アランゴは代表キャプテンに指名された。コパ・アメリカ2011ではベネズエラの史上初のベスト4進出に貢献。3位決定戦のペルー戦で得点を挙げ、ベネスエラ代表の通算得点記録に並んだ。

個人成績

クラブ成績

2012年5月時点
クラブ シーズン リーグ カップ 国際カップ 通算
出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト 出場 得点 アシスト
スリアノスFC 1999 12 0 12 0
通算 12 0 12 0
カラカスFC 2000 19 5 19 5
通算 19 5 19 5
CFモンテレイ 2000–01 30 5 30 5
2001–02 13 1 13 1
通算 43 6 43 6
CFパチューカ 2001–02 15 5 6 4 0 21 9
2002–03 37 11 37 11
2003–04 36 8 36 8
通算 88 24 6 4 0 94 28
RCDマジョルカ 2004–05 34 6 34 6 0
2005–06 37 11 5 37 11 5
2006–07 37 9 9 3 0 0 40 8 9
2007–08 38 12 9 5 3 0 43 15 9
2008–09 37 8 9 4 1 0 41 9 9
通算 183 45 32 12 4 0 195 49 32
ボルシアMG 2009–10 34 2 9 2 1 1 36 3 10
2010–11 20 4 6 2 0 0 22 4 6
2011–12 17 3 7 2 1 0 19 4 7
通算 71 9 22 6 2 1 77 11 23
総通算 416 89 54 18 6 1 6 4 0 440 99 55

代表得点

2015年5月時点
 #  日時 場所 対戦相手 スコア 最終結果 大会
1. 2001年4月24日 サン・クリストバル  コロンビア 2–1 2–2 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
2. 2001年9月4日 サンティアゴ  チリ 0–2 0–2 2002 FIFAワールドカップ・南米予選
3. 2003年4月30日 サン・クリストバル  トリニダード・トバゴ 1–0 3–0 親善試合
4. 2–0
5. 2003年6月7日 フォートローダーデール  ホンジュラス 2–1 2–1 親善試合
6. 2003年11月15日 バランキヤ  コロンビア 0–1 0–1 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
7. 2003年11月18日 マラカイボ  ボリビア 2–1 2–1 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
8. 2004年2月19日 カラカス  オーストラリア 1–1 1–1 親善試合
9. 2004年3月3日 モンテビデオ  ウルグアイ 0–3 0–3 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
10. 2004年4月28日 キングストン  ジャマイカ 2–1 2–1 親善試合
11. 2005年9月3日 マラカイボ  ペルー 2–1 2–1 2006 FIFAワールドカップ・南米予選
12. 2007年3月24日 メリダ  キューバ 1–0 3–1 親善試合
# 2007年6月20日 サン・クリストバル バスク 2–4 3–4 親善試合(FIFA未公認)
3–4
13. 2007年7月7日 サン・クリストバル  ウルグアイ 1–1 1–4 コパ・アメリカ2007
14. 2008年6月19日 プエルト・ラ・クルス  チリ 2–1 2–3 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
15. 2008年10月15日 プエルト・ラ・クルス  エクアドル 3–1 3–1 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
16. 2009年3月31日 プエルト・オルダス  コロンビア 2–0 2–0 2010 FIFAワールドカップ・南米予選
17. 2010年10月13日 シウダ・フアーレス  メキシコ 0–1 2–2 親善試合
18. 1–2
19. 2011年7月23日 ラ・プラタ  ペルー 2–1 4–1 コパ・アメリカ2011 3位決定戦
20. 2012年9月7日 リマ  ペルー 0–1 0–1 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
21. 2012年10月16日 プエルト・ラ・クルス  エクアドル 1–0 1–1 2014 FIFAワールドカップ・南米予選
22. 2013年6月7日 ラパス  ボリビア 0–1 1–1 2014 FIFAワールドカップ・南米予選

タイトル

CFパチューカ

脚注

  1. ^ 彼の名前とゴール(gol)を組み合わせた造語であり、ベネズエラではこう呼ばれることが多い
  2. ^ ESPNの番組の中でルイス・オマル・タピアに命名された
  3. ^ a b 「野球の国のハリケーン」ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2010年2月4日号、76-77頁
  4. ^ Arango wings his way to Mallorca”. UEFA.com. 2010年1月22日閲覧。
  5. ^ Un codazo de Javi Navarro mandó a Arango a la UCI (An elbow by Javi Navarro sends Arango to Intensive Care)” (Spanish). as.com (2005年3月21日). 2011年1月31日閲覧。
  6. ^ Navarro assaults Arango”. YouTube. 2010年1月22日閲覧。
  7. ^ マジョルカ、アランゴのスーパーゴールでR・ソシエダに逆転勝利”. livedoorスポーツ. 2013年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年2月2日閲覧。
  8. ^ Barça lose ground with Villarreal loss”. UEFA.com (2008年3月9日). 2010年1月22日閲覧。
  9. ^ Arango ya es jugador del Borussia M’Gladbach” (Spanish). Marca.com (2009年6月27日). 2010年1月22日閲覧。
  10. ^ ボーフム、3点差を追いつきドロー”. UEFA.com (2009年8月9日). 2011年2月2日閲覧。
  11. ^ アランゴの新天地はメキシコに決定”. Qoly.jp (2014年5月22日). 2014年5月22日閲覧。
  12. ^ アランゴがNYコスモスへ移籍”. 超ワールドサッカー (2016年1月29日). 2016年5月31日閲覧。

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