パラケルスス主義者たちと普遍医薬
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「普遍医薬」の記事における「パラケルスス主義者たちと普遍医薬」の解説
16世紀末から17世紀初頭にもっとも影響力を誇ったパラケルスス派キミストは、フランスのジョゼフ・デュシェーヌ(Joseph Du Chesne, 1546-1609)である。主著『ヘルメス主義的な医学の真実のために』 Ad veritatem Hermeticae medicinae(パリ、1604年)において、彼は普遍医薬についての議論を展開している。それによれば、真の医学の賢者は健康と生命の保持のためにかかせないこの精髄を獲得するために、キミアの技によって事物の物質的な外殻をとり除かなければならない。彼は、この精髄を「賢者たちの星辰的な石」とも呼んだ。デュシェーヌの足跡を追って活躍したドイツのオズワルド・クロル(Oswald Croll, ca. 1560-1608)や英国のロバート・フラッド(Robert Fludd, 1574-1637)といった有名なキミストたちは、パラケルスス主義の運動においてもっとも知られることとなる著作群をうみだした。そこでは普遍医薬の探求が重要な位置を占めている。
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