パウル・ヴァインガルテンとは? わかりやすく解説

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パウル・ヴァインガルテン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/12 21:01 UTC 版)

パウル・ヴァインガルテン
基本情報
生誕 (1886-04-20) 1886年4月20日
オーストリア=ハンガリー帝国
モラヴィア辺境伯領 ブルノ[1]
出身地  チェコ
死没 (1948-04-11) 1948年4月11日(61歳没)
オーストリア ウィーン[1]
学歴 ウィーン音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

パウル・ヴァインガルテンPaul Weingarten, 1886年4月20日 - 1948年4月11日)は、チェコ出身のピアニスト

経歴

ブルノの出身で、ウィーン音楽院グイド・アドラー音楽学エミール・フォン・ザウアーピアノロベルト・フックス音楽理論を学び、博士号を取得した。1922年から1938年まで母校のウィーン音楽院に在職して教鞭をとったが、そのうち1936年4月から1938年3月まで日本の東京音楽学校で傭外国人教師となった[2]。同年帰国し、その後はアンシュルス各地を演奏して回った。1945年にウィーン音楽院の教職に復帰し、ウィーンで亡くなるまで奉職した。

門下にはモーラ・リンパニーペーター・シュタドレン[3]イングリット・ヘブラーロラント・ラウペンシュトラウフ永井進[4]、山口喜久子[4]水谷達夫[5]などがいる。

脚注

  1. ^ a b Weingarten, Paul”. The MusicSack. 2020年1月3日閲覧。
  2. ^ 東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻 2003.
  3. ^ [1]
  4. ^ a b 二宮裕子 第3回「母 喜久子のピアノ史」”. ピティナ. 2020年3月5日閲覧。
  5. ^ 木下保の藝術~信時潔團伊玖磨 歌曲集~ CD ライナーノーツ

参考文献

  • 東京芸術大学百年史編集委員会 編 編「第3章 大正・昭和の東京音楽学校. 第5節 教職員. 2 外国人教師. (13) パウル・ヴァインガルテン Paul Weingarten」『東京芸術大学百年史 東京音楽学校篇 第2巻』音楽之友社、2003年、1253-1262頁。ISBN 978-4-2760-0615-7 



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