ドッガーバンク事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/05 11:48 UTC 版)
ドッガーバンク事件(ドッガーバンクじけん、英語: Dogger Bank Incident)は、ロシア帝国のバルチック艦隊が日露戦争に際して極東へ向かう途上、1904年10月21日深夜から翌22日未明にかけて北海のドッガーバンク付近で大日本帝国海軍艦船と誤認してイギリスの漁船を攻撃し、漁民に死傷者が発生した事件である。
- ^ 現在のエストニアのリエパーヤ
- ^ 『「坂の上の雲」では分からない日本海海戦―なぜ日本はロシアに勝利できたか』, p.225
- ^ 『対支回顧録 下巻 列伝』東亜同文会内対支功労者伝記編纂会、1936年、は、瀧川具和(海軍少将)の項(677~679頁)に、「三十五年一月独逸公使館附に転じ伯林駐在中日露戦役に際会し、陸の明石大佐と駢んで所謂裏面の勲功を樹てた。其の詳細は今日知る由もないが、魯国の革命派を操縦して各地に小規模の反乱を起させ、海軍にはオデツサの黒海艦隊の内乱あり。波羅的艦隊の東航予定(三十七年六月出発の筈であつた)を延期せしめ、十月漸くリバウを抜錨するや君は日本水雷艇北海方面にありとの偽宣伝を流布せしめ、或は漁船を傭うて艦隊襲撃の真似事を目論む等、露国側に動揺を与へ以て海陸の極東集中を困難ならしめんとした。」と記す。
- ^ 『日露戦争全史』, p.461
- ^ 『日露戦争全史』, p.462
- ^ 『日露戦争全史』, p.463
- ^ 『日露戦争全史』, p.468
- ^ 松井芳郎はこの処理手段に関して、この「審査」という制度は1899年の国際紛争平和的処理条約によって初めて規定されたものであったが、ドッガーバンク事件を解決したことで注目を集めた結果、1907年改正の国際紛争平和的処理条約でより詳しく規定されることとなった、と国際法における事件の重要性を述べている。松井芳郎ほか『国際法』第5版、有斐閣、2007年。p.266。
- 1 ドッガーバンク事件とは
- 2 ドッガーバンク事件の概要
- 3 参考文献
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