ハイコ・フンガーとは? わかりやすく解説

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ハイコ・フンガー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 22:04 UTC 版)

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獲得メダル

ハイコ・フンガー(1989年東ドイツ選手権)
ドイツ
男子 ノルディック複合
ノルディックスキー世界選手権
1985 Seefeld 団体
男子 スキージャンプ
ノルディックスキー世界選手権
1991 Val di Fiemme ラージヒル団体

ハイコ・フンガー(Heiko Hunger, 1964年6月24日 - )は、東ドイツドレスデン県(現在のザクセン州の一部)Sebnitz出身の元ノルディック複合スキージャンプ選手。東ドイツおよびドイツ代表として国際大会で活躍した。

プロフィール

フンガーはクリンゲンタールのSC Dynamo Klingenthalでノルディックスキー複合の競技生活を始め、1983年のノルディックスキージュニア世界選手権(フィンランドクオピオ)ではノルディック複合個人で金メダルを獲得。翌1984年のジュニア世界選手権(ノルウェートロンハイム)ノルディック複合団体で金メダルを獲得した。また、ノルディックスキー世界選手権複合団体で4位となった。

1984-1985シーズンはノルディック複合・ワールドカップで初勝利、1985年ノルディックスキー世界選手権では複合個人4位、複合団体金メダルを獲得した。

フンガーはジャンプを得意とし、1980年代後半にはジャンプ専門に転向した。1987年と1988年の東ドイツ選手権90m級で2連覇している[1]。1988年3月18日、ノルウェーのメルダルでスキージャンプ・ワールドカップにデビューし、8位となった。1989年ノルディックスキー世界選手権にはジャンプで出場し、90m級37位、70m級30位となった。

1990-1991シーズンの初めにサンダーベイ(カナダ)で自己最高位となる4位、1991年ノルディックスキー世界選手権では団体戦でイェンス・バイスフロクディーター・トーマアンドレ・キーゼヴェッターとともに銅メダルを獲得した。

1992年のアルベールビルオリンピックに初めて出場、ラージヒルでは59位と振るわなかったもののノーマルヒルで7位、団体では5位に入った。このシーズン限りで現役を引退し、シュトゥットガルトやジーベンヒッツなどで家族と暮らしている。

脚注

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