ニケフォロスの後継者(811年 - 813年)
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「ニケフォロス朝」の記事における「ニケフォロスの後継者(811年 - 813年)」の解説
811年、ニケフォロス1世の死により、息子で共同皇帝であったスタウラキオスが帝位を継承した。しかし、スタウラキオス自身もプリスカの戦いにおいて重傷を負っており、継承をめぐる論争ののち、姉妹プロコピアの夫ミカエルに説得されて退位し、ミカエルがミカエル1世ランガベとして帝位を継承した。 ミカエル1世は外交政策よりも軍事政策を行った。しかし、ミカエルも義父や義兄が敗れたブルガリアのクルムと争って敗北し、その立場は著しく弱まった。反乱の兆候に気づいたミカエルは退位し、ニケフォロス朝は断絶した。
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