ニエポカラノフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 14:33 UTC 版)
「マキシミリアノ・コルベ」の記事における「ニエポカラノフ」の解説
グロドノが手狭となり、活動の拠点を移動する必要に迫られたコルベは、新たな土地を探していた。そのとき、ドウルッキ・ルベッキ公爵はワルシャワの近くに所有する土地を寄贈するということになったが、当初の条件はルベッキ公爵の父のために永久的に追悼ミサを捧げることであった。 コルベは土地が聖母のものであるとして、真っ先にマリア像を立てた。ところが、会議で条件である永久的に追悼ミサを捧げることを断ることになったため、ルベッキ公爵は土地の寄贈を撤回し、マリア像を取り除くようにと言った。するとコルベはマリア像は聖母が初めて約束を守らなかったことを示すために残さなければならないと言い、この言葉に打たれたルベッキ公爵は無条件で土地を寄贈した。 1927年にはニエポカラノフ修道院(無原罪の聖母の騎士修道院)を創立し、『無原罪の聖母の騎士』等の出版による宣教に力を入れた。
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