ナミ (歌手)
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ナミ | |
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出生名 | 金明玉(キム・ミョンオク、김명옥) |
生誕 | 1958年11月19日(65歳) |
出身地 | 韓国・京畿道楊州郡伊淡面(現在の東豆川市) |
ジャンル | ダンス・ミュージック |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1967年 - |
ナミ(羅美、나미、1958年11月19日 - )は、韓国の歌手。1980年から1990年代を風靡し、音楽とファッションで破格的アイコンとされて人気を博した。
経緯
アメリカ8軍でデビューし歌とダンスの実力で頭角を現し、1967年にイ・ミジャの一代記を扱った映画「エレジーの女王」でイ・ミジャの子供役を演じる。1968年には、ユン・ボクヒの自伝的映画「ミニお嬢さん」でユン・ボクヒの子役として出演。
1971年から1978年には女性グループ「ハッピードールズ」のメンバーとして活動し、1978年にグループが解散したことでナミという芸名を使うことになった。 1979年に最初のアルバムを発表して本格的な活動を始め、ハスキーボイスを武器に「永遠の友達(영원한 친구)」、「悲しい縁(슬픈인연)」、「くるくる(빙글빙글)」などをヒットさせた。
2013年に17年ぶりに歌謡界に復帰した。[1]
ディスコグラフィ
- 1979年 -「ナミとモスムアたち(나미와 머슴아들)」、「憎しみの情細かい情報미운정 고운정」、「永遠の友達(영원한 친구)」
- 1980年 - 「私の愛だった(난 사랑했어요)」、「好き(좋아해)」
- 1981年 - 「国際線待合室(국제선 대합실)」、「いつまでも언제까지나)」
- 1982年 - 「最後の挨拶(마지막 인사)」、「信じられないない(이럴수가 없어요)」、「行くさま(가는님)」
- 1983年 - 「待ち時間は遠くと(기다림은 멀어라)」、「白い雲(흰구름)」
- 1984年 - 「くるくる(빙글빙글)」、「アリラン乙女(아리랑 처녀)」
- 1985年 - 「誘惑しないでね(유혹하지 말아요)」「見えるわ(보이네)」「悲しい縁(슬픈인연)」
- 1986年 - 「知らないふりをしますね(모른척하네요)」、「私は好きでした(난 사랑했어요)」
- 1989年 - 「インディアン人形のように(인디안 인형처럼)」、「私は何も言わない(아무말 않으리)」
脚注
「ナミ (歌手)」の例文・使い方・用例・文例
- 彼はナミビア初代大統領に選出された。
- わたしたちはバイオダイナミックスに基づくセラピーを専門としています。
- FRスポーツカーのダイナミックなボディーラインはとても魅力的です。
- グループダイナミックスは、社会集団の中の相互作用に注目する。
- ブロードバンドネットワークをダイナミックに展開させる。
- 私達はそこでイルカとクジラのダイナミックなショーを観ることが出来ます。
- ベートーベン「第 5」のダイナミックな演奏.
- 陽気がいいのでハナミズキの花が早く咲いた.
- あの短距離走者はダイナミックな走り方をする.
- ショウジョウコウカンチョウは、ちょっとの間ハナミズキの枝にとまった
- 力強いダイナミックな態度で
- このピアニストはダイナミックに演奏する
- クビワヘビを含むナミヘビ科の爬虫類の属
- ナミヘビ科の一属
- ナミヘビ科の1属
- ナミマガシワ科の標準属:ミナミナミマガシワモドキ
- 大きさと習性共にナミチスイコウモリに似る
- ナミビアまたはその国民の、あるいは、ナミビアまたはその国民に関する
- ナミビアおよび南アフリカで牧畜を営む人々が話すコイサン語族
- ナミビア、ボツワナ、およびアンゴラでヘレロ族によって話されるバントゥ語
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