ナタール共和国の滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 14:45 UTC 版)
「グレート・トレック」の記事における「ナタール共和国の滅亡」の解説
こうしてナタール共和国が建国されたものの、広大な土地を得たボーア人たちは土地の分配を巡って対立を繰り返した。建国されて間もない共和国政府にはその争いを調整する力はなく、またボーア人の中には原住民に暴行を加えるものも現れた。この混乱は隣接するポートナタールを領有するイギリスに絶好の介入の口実を与え、イギリスはナタール共和国に宣戦。1843年5月12日、ナタール共和国政府は降伏し、ナタール共和国は4年余りで消滅した。ナタール共和国のボーア人は一部はこの地にとどまり続けたものの、大半はイギリスの影響力の及ばないドラケンスバーグ山脈の向こう側に再び移動していった。プレトリウスもナタール共和国から北上し、ヴァール川以北へと転進していった。
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