ドラハイム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/15 10:19 UTC 版)
エルビングのほか、共和国はドラハイムの維持を目指していたが、フリードリヒ・ヴィルヘルムは1663年にドラハイムを占領して共和国の計画を挫いた。1720年代以降、ブランデンブルクのポンメルン県(英語版)政府はドラハイムの行政を徐々に取り入っていったが、ドラハイムはブロンベルク条約が1773年のワルシャワ条約に置換されるまで独立を維持した。ワルシャワ条約まで、ポーランドは名目的にはドラハイムを買い戻す権利を有したが、それが主張されることはなかった。ポーランド王はこの権利への主張として、1680年まで地方行政官に特権を付与した。ポーランドはワルシャワ条約の第5条でドラハイムを買い戻す権利を放棄、それを「永遠に」プロイセン王国に割譲した。
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