ドッケンでの成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 16:06 UTC 版)
「ジョージ・リンチ」の記事における「ドッケンでの成功」の解説
1980年頃、エキサイター (Xciter)で一緒に活動していたドラマーのミック・ブラウンと共にドッケンに参加。1981年には、デビュー・アルバム『ブレイキング・ザ・チェインズ』を発表。アルバム最後に収録された「Paris is burning」の高度な演奏技術は注目を集めた。このアルバムは、当初ヨーロッパのみの販売だったが、1983年にマスタリングを新たにやり直してアメリカでも発売された。 バンドは、1984年にアルバム『トゥース・アンド・ネイル』、翌年には『アンダー・ロック・アンド・キー』を発表。ジョージは、LAメタルを代表するテクニシャンとして認知され、バンドも一定の成功を収める。1987年にはアルバム『バック・フォー・ジ・アタック』を発表。野性的かつ攻撃的な演奏を披露し、ギターヒーローとしての地位を不動のものとする。 しかし、ジョージとボーカルのドン・ドッケンの確執は、バンドが成功を収めた後も常に取り沙汰され続け、結局1988年の来日公演(ライブ・アルバム『ビースト・フロム・ジ・イースト』)を最後に、空中分解のようにして解散してしまう。
※この「ドッケンでの成功」の解説は、「ジョージ・リンチ」の解説の一部です。
「ドッケンでの成功」を含む「ジョージ・リンチ」の記事については、「ジョージ・リンチ」の概要を参照ください。
- ドッケンでの成功のページへのリンク