ドイモイと農業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 06:02 UTC 版)
80%が農民や農村居住者である農業国であるベトナムではあるが、近代化・工業化の過程においてドイモイ政策実施までは国家政策としては農業は重視されなかった。しかしながら、古田元夫によればドイモイを導いたのはベトナムの農業の現実であった。ベトナム共産党は、本格的なドイモイに踏み切った後の1988年4月、政治局第10号決議で事実上、個々の農家が農業形成の基本単位であることを認めた。この決議により、合作社が農地の大半を所有して農業経営の基本的単位となる集団農業の存在には終止符が打たれることとなった。それまでベトナムの農業を支配していた、この闇行為である「もぐり請負制」を共産党は合法的なものとして追認することでドイモイにつながっていった。この意味ではドイモイを始めたのは農民であった。ベトナム農民はそれまでの「貧しさを分かち合う社会主義」というシステムに挑戦する行動を開始したのである。事実、ドイモイ以後農民の暮らしは変化し、全体としては1980年代よりも豊かになった。
※この「ドイモイと農業」の解説は、「ドイモイ」の解説の一部です。
「ドイモイと農業」を含む「ドイモイ」の記事については、「ドイモイ」の概要を参照ください。
- ドイモイと農業のページへのリンク