ドイツ・ブンデスリーガ1978-1979とは? わかりやすく解説

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ドイツ・ブンデスリーガ1978-1979

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/03 03:22 UTC 版)

Fußball-Bundesliga
シーズン 1978-1979
優勝 ハンブルガーSV
(4回目)
試合数 306
ゴール数 963 (1試合平均3.15)
得点王 クラウス・アロフス
(22点)
合計観客動員 7,955,959
平均観客動員 26,000
1977-1978
1979-1980

フースバル・ブンデスリーガ 1978-1979ドイツサッカー協会 (DFB) によって開催された男子全国最上位リーグの第16シーズン目である。ハンブルガーSVが優勝し、4回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3][4]

概要

HSVはブンデスリーガにおいて1回目、自身通算4回目のドイチェ・マイスターシャフト制覇を成し遂げた。優勝決定後のホームでの最終節、HSVはFCバイエルン・ミュンヘンに1-2で敗れたが、終了のホイッスルと同時にファンが乱入。最初に有刺鉄線を除去してフェンスに穴が開けられ、それから狭い空間に大量の人間が殺到したため、将棋倒しが起こり、総計72人が負傷した。またゴール裏には、最初から収容人数以上のファンが詰め込まれていた[5]

UEFAカップ出場権は2位VfBシュトゥットガルト、3位1.FCカイザースラウテルン、4位バイエルン、5位アイントラハト・フランクフルト、10位ボルシア・メンヒェングラートバッハ (前回王者)が獲得した。赤い悪魔の3位は驚きの結果であり、しかも新監督カール=ハインツ・フェルトカンプドイツ語版監督が指揮した初年度であった。しかし、カイザースラウテルンは1990-1991シーズンまで、これを超える成績は残せなかった。第24節には勝ち点3で首位に立ち、27節までこれをキープするなど、一時はマイスターを狙える位置につけていた。優勝争いは最終的にシュトゥットガルトとHSVの争いとなり、第33節にシュトゥットガルトが1.FCケルンに1-4で敗れる一方、HSVは0-0でアルミニア・ビーレフェルトと引き分けて勝ち点1を積み上げ、最終節前に優勝を決めた。

フォルトゥナ・デュッセルドルフDFBポカール1979-1980ドイツ語版を制覇し、その後UEFAカップウィナーズカップ 1978-79でも決勝に進出したが、FCバルセロナに3-4で敗戦。ブンデスリーガは7位だった。またフォルトゥナのクラウス・アロフスは、最終節の2ゴールでランキング首位クラウス・フィッシャーを逆転、22ゴールで得点王となった。昇格組ビーレフェルト、1.FCニュルンベルクSVダルムシュタット98は、一年で2.ブンデスリーガに降格した。20世紀において、昇格組がそろって即降格したのはこの時だけである。

ひとつの時代の終わり

多くの選手にとって、また1970年代を彩ったスター選手達にとって、 このシーズンがブンデスリーガでの最終年度となった。とりわけ2強時代を築いたバイエルンとボルシア・メンヒェングラートバッハでは、長年チームを支えてきた幾人もの中心選手がスパイクを脱ぐか、または西ドイツを去った。

グラートバッハでは、デンマーク代表アラン・シモンセンFCバルセロナに移籍。フォルトゥナ・デュッセルドルフ戦を最後に、ベルティ・フォクツが実質的に、ホルスト・ケッペルは正式に引退した。バイエルンのゴールハンター、ゲルト・ミュラーは1979年2月最後のブンデスリーガの試合に出た後、米国に移籍した。ゼップ・マイアーは、1979年夏の深刻な自動車事故の影響に苦しみ、結局今季限りで現役引退となった。

ヴェルダー・ブレーメンのデンマーク人ペア・ルントウェズデンマーク語版は帰国し、ヘルタBSCエーリヒ・ベーアドイツ語版も退団。HSVのホルスト・ベアトルドイツ語版は、1979年6月13日ヒューストン・ハリケーンズ英語版北米サッカーリーグにデビューした[6]

順位表[4]

首位
最下位



チーム 出場権または降格
1 ハンブルガーSV (C) 34 21 7 6 78 32 +46 49 UC出場
2 VfBシュトゥットガルト 34 20 8 6 73 34 +39 48 UC出場[注 1]
3 1.FCカイザースラウテルン 34 16 11 7 62 47 +15 43
4 FCバイエルン・ミュンヘン 34 16 8 10 69 46 +23 40
5 アイントラハト・フランクフルト 34 16 7 11 50 49 +1 39
6 1.FCケルン 34 13 12 9 55 47 +8 38
7 フォルトゥナ・デュッセルドルフ 34 13 11 10 70 59 +11 37 CWC出場
8 VfLボーフム 34 10 13 11 47 46 +1 33
9 アイントラハト・ブラウンシュヴァイク 34 10 13 11 50 55 −5 33
10 ボルシア・メンヒェングラートバッハ 34 12 8 14 50 53 −3 32 UC出場[注 1]
11 ヴェルダー・ブレーメン 34 10 11 13 48 60 −12 31
12 ボルシア・ドルトムント 34 10 11 13 54 70 −16 31
13 MSVデュイスブルク 34 12 6 16 43 56 −13 30
14 ヘルタBSC 34 9 11 14 40 50 −10 29
15 FCシャルケ04 34 9 10 15 55 61 −6 28
16 アルミニア・ビーレフェルト (R) 34 9 8 17 43 56 −13 26 2.フースバル・ブンデスリーガ1979–1980ドイツ語版に降格
17 1.FCニュルンベルク (R) 34 8 8 18 36 67 −31 24
18 SVダルムシュタット98 (R) 34 7 7 20 40 75 −35 21
出典: www.dfb.de
順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 得失点差; 3) 総得点.
(C) 優勝; (R) 降格.
注釈:
  1. ^ a b ボルシアMGはUEFAカップ1978-79に優勝し前回王者として次年度出場権を得た。

得点ランキング[7]

順位 選手 クラブ 得点数
1. クラウス・アロフス フォルトゥナ・デュッセルドルフ 22
2. クラウス・フィッシャー FC シャルケ04 21
3. リュディガー・アブラムチクドイツ語版 FCシャルケ04 18
4. ケヴィン・キーガン ハンブルガーSV 17
クラウス・トップメラー 1.FCカイザースラウテルン

ハンブルガーSVのマイスターマンシャフト[8]

1. ハンブルガーSV


主審[9]

名前 生年月日 所属協会 担当試合数 備考
ヴォルフ=ディーター・アーレンフェルダー 1944-02-11 ニーダーライン 8 18 0
ハインツ・アルディンガー 1933-01-07 ヴュルテンベルク 9 12 0 FIFA国際審判員
カール=ヨーゼフ・アッセンマッハー 1947-05-30 ミッテルライン 8 18 0
ハンス=ハインリヒ・バーニック 1943-02-06 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン 8 17 0
ヴィンフリート・ブリュックナー 1948-12-09 ニーダーザクセン 8 19 0
ヴェアナー・ブアガース 1934-05-15 ニーダーライン 8 19 1
マンフレート・デルフェル 1941-09-28 バイエルン 8 26 4
ディーター・ドレーアー 1933-03-17 ヘッセン 6 16 0
ヴァルター・エンゲル (審判員) 1939-05-15 ザールラント 9 5 0
ヴァルター・エシュヴァイラー 1935-09-20 ミッテルライン 10 15 1 FIFA国際審判員
ルドルフ・フリッケル 1932-07-16 バイエルン 10 12 0 FIFA国際審判員
ペータ-・ガボーア 1940-04-19 ベルリン 8 17 0
ヴィルフリート・ハイトマン 1943-10-04 ニーダーザクセン 8 16 0
ゲアト・ヘニヒ 1935-04-24 ニーダーライン 8 10 0 1979年の年始からFIFA国際審判員
フランツ=ヨーゼフ・ホントハイム 1938-08-13 ラインラント 8 16 0
ヴァルター・ホアストマン 1935-08-28 ニーダーザクセン 10 13 0 FIFA国際審判員
ホアスト・ヨース 1934-07-27 ヴュルテンベルク 9 12 0
パウル・キンダーファーター 1940-01-24 ミッテルライン 8 17 0 FIFA国際審判員
マックス・クラウザー 1937-07-04 バイエルン 9 10 0
ギュンター・リン 1935-03-16 ラインラント 9 14 3 1979年年始からFIFA国際審判員
メダードゥス・ルカ 1935-03-12 ザールラント 9 20 0
ユアゲン・メスマー 1940-05-26 バーデン 9 12 0
ゲアト・モイザー 1936-06-26 ズュートヴェスト 9 11 0
ヴァルター・ニーマン (審判員) 1933-01-01 ハンブルク 9 25 0
クラウス・オームゼン 1935-10-16 ハンブルク 8 13 1
ハインツ・クヴィンドー 1933-08-28 ズュートヴェスト 8 26 1
ヤン・レデルフス 1935-08-20 ニーダーザクセン 10 27 0 FIFA国際審判員
ギュンター・リッセ 1936-09-18 ヴェストファーレン 8 15 0
ヴェアナー・ロス (審判員) 1944-11-13 バイエルン 8 15 0
フォルカー・ロート 1942-02-01 ニーダーザクセン 10 19 0 FIFA国際審判員
エーバーハート・シュモーク 1937-04-12 ズュートバーデン 9 23 0
ディーター・シュテークリヒ 1941-02-08 ミッテルライン 8 23 0
ヘルムート・トライプ 1944-02-28 ザールラント 8 17 0
ライナー・ヴァルタート 1940-06-09 ヴェストファーレン 8 18 0
ローバート・ヴァルツ 1942-02-27 ヴュルテンベルク 12 37 1
ヴィンフリート・ヴァルツ 1942-02-27 ヴュルテンベルク 4 12 0
総計: 306 615 12
出典: weltfussball.de[10]

脚注

注釈

出典

  1. ^ Karel Stokkermans and Andreas Werner (11 Oct 2024). “(West) Germany - List of Champions” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ Germany 1978/79” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  3. ^ Bundesliga Titelträger” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  4. ^ a b Bundesliga Tabelle” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  5. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 334頁
  6. ^ “Ёür viele kommt heute der Abschied”. Arbeiterzeitung: p. 24. (1979年6月9日) 
  7. ^ Bundesliga Torjäger 1978/79” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  8. ^ Bundesliga Einsätze” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  9. ^ Bundesliga Schiedsrichter 19/” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  10. ^ Schiedsrichter”. weltfussball.de. 2015年11月10日閲覧。

参考文献

  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 

外部リンク




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